書評
『ミッテラン――カトリック少年から社会主義者の大統領へ』(吉田書店)
野党政治家必読の仏元大統領の伝記
日本の政治家は概して本を読まないが、この本だけは読むようにお勧めしたい。最終的に権力を手に入れるためには何が不可欠か、また強圧的な手法に拠(よ)らずに長く権力に止(とど)まり、しかも死後に名声を残すにはどうすればいいか、そのすべてがこの元フランス共和国大統領の伝記には記されているからである。南仏の敬虔(けいけん)なカトリックの家庭に生まれたミッテランはナショナリズムの作家モーリス・バレスの影響を深く受けて野心的な右派の文学青年に成長、パリに出て法学部に登録するとラ・ロック大佐の愛国結社「火の十字団」に参加する。第二次大戦でドイツ軍の捕虜となるが収容所を脱出し、非占領地域の首都ヴィシーで役人となる。このときペタン元帥に謁見し、フランシスク勲章を受章したことが後々ライバルたちの攻撃材料となり、「フランシスク・ミッテラン」というあだ名を頂戴することになるが、しかし、ミッテランはヴィシー派であると同時に「文句のつけようのないレジスタンス活動家でもあった」のである。ジロー将軍派のレジスタンスに加わり、アルジェでド・ゴールと接触するが「二人の間では、話が通じなかった」。二人は以後あらゆる局面で対立する。
パリ解放後、反ドゴール・反共産党の政治家としてデビューすると、「自分の力で上昇するという、冒険の道を望んだ。(中略)イデオロギーの幻想に陥らず、必要なときには機を見るに敏な彼の両義性は、不利になるどころか、彼にとって切り札となったのである」。小党分立の第四共和制で短命内閣が続くなか、多くの大臣職を経験して頭角を現し、非共産党系左派のマンデス・フランス内閣で内相。アルジェリア戦争では「フランスのアルジェリア」の立場を堅持する。一九五八年にド・ゴールが登場すると、反ド・ゴールの急先鋒(せんぽう)に立ち総選挙で落選の憂き目を見るが、決して諦めない。「辛抱強く、情勢が逆転するときを待たねばならない。政治において、最終的ということは決してありえない。その忍耐力を、ミッテランは誰よりも持っていた。彼の性格の重要な特徴の一つである」
では逆転の秘策はなんだったのか? なんと共産党への接近である。二回投票制で、上位二者が対決する第五共和制の選挙システムに政権奪取のテコを見いだしたミッテランは、共産党との共闘を拒否し続ける限り、左派には雪辱の目はないと気づいたのだ。自分の選挙区で共産党との共闘を実験すると、「共産党に奪われた失地を回復するには、徹底して左に根を下ろすべきだった。これに対して、中道に向かうことは、共産党に左を明け渡し、正統的左派の立場の独占を許すことになる」と確信し、共闘路線を推し進める。結局、この左翼マキャベリズムがミッテランをド・ゴールの対抗馬として浮上させることになる。一九六五年の大統領選挙ではド・ゴールに惜敗、一九七四年にはジスカール・デスタンに僅差で敗れたものの、一九八一年にはついに宿願を果たす。大統領在任中は二度のコアビタシオン(保革共存)を経験したが、「好々爺(こうこうや)然としながらも、固い決意を持って、彼は政敵に畏怖(いふ)の念さえ起こさせた」。
こうしてド・ゴールの跡を襲って「国父」の役割を演じることに成功したミッテランは栄光のうちに大往生を遂げる。まさに政治家の鑑(かがみ)。日本の小選挙区制はミッテラン戦略に適している。本書をバイブルとして使いこなせる野党政治家は現れないだろうか?(大嶋厚訳)
ALL REVIEWSをフォローする


































