解説
『病める政治家たち―病気と政治家と権力』(文藝春秋)
「唯病史観」で見る戦後政治
これは唯物史観ならぬ唯病史観の新境地を開いた本だ。昔テロリズム、今病気と言える程に、不治の病につながる様々な成人病に侵された戦後の政治家たち。まったく政治家とは因果な商売である。男は外に出れば七人の敵というが、自らの体内に最大の敵を抱えこみながら、彼らはなお権力闘争に明け暮れなければならないのだから。本書で明らかにされるのは、病気と権力をめぐる当の政治家とその側近、それに診断を下す医師とマスコミとが関わる複雑な展開過程である。鳩山一郎から小沢一郎まで、精粗のバランスはあるものの、歴史の順を追って首相クラスの実力者について、とりわけ病気の実態と患者たる政治家の行動様式との相互関係をさばく、著者のメスならぬペンは鮮やかと言う他はない。
そして唯病史観に徹すると、戦後は四期に区分されることがわかる。第一に五五年体制成立前後の鳩山一郎・緒方竹虎・三木武吉・石橋湛山、第二に高度成長期の池田勇人・大野伴睦・河野一郎、第三にポスト佐藤の田中角栄・大平正芳・田中六助、第四にポスト中曽根の安倍晋太郎・渡辺美智雄。しかも病に倒れた彼らにあたかも対抗するかのように、健康な政治家が存在を誇る。第一期では吉田茂と岸信介、第二期では佐藤栄作、第三期では三木武夫と福田赳夫、第四期では竹下登と宮沢喜一。これはなかなかもって壮観である。
もっとも病を得たからといって、彼らの政治的能力が健康な政治家のそれを必ずしも下まわるものではない。むしろ病識のある政治家の方が一見健康な政治家よりも、人間的魅力にあふれ時に優れた判断を示す場合もある。この点に政治家という職業の不可思議さと奥の深さがあるとは言えまいか。
さらに田中にしても大平にしても、病院で破格と言える程の治療や待遇を受けたわけではない。その意味では病は万人平等にもたらされ、病院もまた万人平等に近い応接をなす。そして医師の言うことを少しもきかぬだだっ子のような政治家の実像に触れる時、ふだんは遠い永田町がやけに近くに見え、ホッと安堵のため息をもらさずにはいられない。
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