自己の存在に鈍感だった日本
「フォーリン・アフェアーズ」は、第一次世界大戦後に刊行が始まり、今日ではアメリカ外交を世界的視野から論評し将来への提言を行う、定評ある雑誌である。本書はその中から、戦後五十年間アメリカが折に触れて日本の政治・経済・社会をどう見てきたかに焦点をあてて、十四本の論文を選んだアンソロジーだ。本書を手にとる読者には、まずは直接十四本のテクストを読み通すことを勧める。そして各々について発表の時期をあててみたらいかがなものか。このようなクイズもどきの読み方を可能にしてしまうくらい、すべてのテクストが読みやすくまた面白い。おそらく世代によっても、啓発をうける論文がまったく異なってくるだろう。
アメリカの日本観は、よくも悪くも七〇年代で急速に変わると言える。同時に日本は、外国の日本観について敏感と言われる割には、ごく最近まで日本の「国家」としてのプレゼンスについては、再三アメリカに指摘されたにもかかわらず、驚くほど鈍感だったこともわかる。
それにしても、「いかにしたら国民を食べさせていけるか」を憂慮したサンソム論文と日本の戦後の成功の代償を早くも指摘したドラッカー論文とを比較する時、この間の三十年の変容は、やはり感慨にたえない。またアームストロング・ライシャワー・ケナン・クイッグと続く六〇年代前後の議論の中に、日本の左翼知識人と社会党の役割について、今日の目からみても冷徹な分析をうかがうことができる。日本異質論を説くウォルフレンに至って、あらためてその底意地の悪さに感心させられるが、しかしふり返ってみると、アメリカの日本観の中に常に伏流として流れていたものが、一挙に噴出したと見ることも可能だ。
最後に編訳者の解説は、独立の論文として読みごたえのある力作。本書が、学生・官僚・ビジネスマンの議論の糧となることを期待したい。