過程に立ち会った記録
一般むけの決して読みやすい本ではない。値段もかなり張る。でも取り上げる価値ありと判断した。“日本国憲法”が戦後日本において果たした役割を、今一度考え直すべき時に来ているからだ。わが憲法もまもなく出来て半世紀。しかし憲法をめぐるイデオロギー的状況は、俗耳に入りやすい護憲か改憲かという二分法的把握の域を出ない。護憲論・改憲論ともに、長い歴史の中で変遷をとげている筈(はず)なのだが、それがはっきりしない。ここは一つ憲法制定の原点に遡って、まずはそのプロセスを客観的に検討することから始めてはどうか。
その際の水先案内人として著者はうってつけである。何しろ一九四六年二月のマッカーサー草案の提示から十一月の憲法公布までの十か月間、常に内閣法制局という現場の第一線に立ち続け、GHQ・内閣・枢密院・衆議院・貴族院における憲法論議に深く関与したのだから。そして補訂者もまた、その折に著者を助ける役まわりを担っていた。
さて我々は、著者らと共に憲法制定過程をふり返るにあたって、著者のまなざしが本書のドラフトを「ジュリスト」に連載した一九五五―五八年にあることに留意したい。戦後十年、改憲論争が最も華やかなりし頃であった。著者はいかにも洗練された法制局官僚らしく、感情を抑制しつつ憲法制定作業に臨む。しかしマッカーサー草案の翻訳化の過程は、日本側の反撃のチャンスでもあった。つまり英文と日本文の表現の差をめぐるつばぜりあいの中に、少しでも日本側の意図をすべりこませようとする。これにはなかなかのワザを要する。
最後に印象に残った点を一つ。衆議院での九条審議にあたって、北昤吉の「戦争ニ負ケテ武装解除ヲシタ国ガ、戦争致シマセヌト言フノハ、貧乏者デ赤貧ニ陥ツテ居ツテ、倹約致シマスト言フノト同ジコトデアル」との言を引いた著者は、「これは巧まずしてこの条文に関する当時のある種の気持ちを現わしているように思う」と述べている。むべなるかな。
【第4巻】