書評
『戦争のほんとうの恐さを知る財界人の直言』(新日本出版社)
この本が大きな説得力を持ち、読みはじめると途中でやめられない気持になるのは、ここに書かれていることが著者の体験に裏付けられた本音であるからに違いないと思った。
著者、品川正治は直接戦争に参加した、今では数少ない世代の人である。彼は一兵卒として中国大陸に動員されている。
彼は洛陽(現在の西安)近くの一二四〇高地と呼ばれていた山頂近くの戦闘で近くに炸裂した迫撃砲弾の破片を受けて気を失う。今でも著者の右膝など四力所にはその時の破片が入ったままなのだ。生きて日本に帰還できたのは奇蹟に近い。彼は戦争が終ってから日本火災(現日本興亜損保)に入り、社長、会長に就任し、経済同友会副代表幹事、専務理事を務める。
そのような、いわゆる財界人の立場に立ってからも、著者は自分の思考の原点である戦争体験を決して手放さなかった。財界人という立場は、もし彼が目先の俗な利害に迷うことがなければ、経済界全体の動き、政界との関係などを鳥瞰できる立場に立っていることを意味する。この著作を読むと、著者が勲章や名声に視力を落すことなく、誠実に財界人としての役割を果してきたことが分る。
その結果として、著者は「日本の支配層の異常さ」を発見する。平和を願っている国民と、憲法改正、その地均(じなら)しとして教育基本法の改正などのからくりを見破り、そこから「経済界は、なぜ政界のお先棒を担ぐのか」という疑問を抱く。彼の目には「企業社会」と「市民社会」との眼も眩(くら)むような乖離の谷が見えてくる。日本の経済のあり方も、これからの日本の国際社会に受容(うけい)れられる姿もすべて平和憲法を基軸にしなければならないことが、一人の明晰な財界人の目に見えてくる。
この著作ぐらい、説得力を持つ主張とは、知識ではなく、感性に滲み透った思想に立脚していなければならないことを教えている著作は少ないように僕には思われる。
著者、品川正治は直接戦争に参加した、今では数少ない世代の人である。彼は一兵卒として中国大陸に動員されている。
彼は洛陽(現在の西安)近くの一二四〇高地と呼ばれていた山頂近くの戦闘で近くに炸裂した迫撃砲弾の破片を受けて気を失う。今でも著者の右膝など四力所にはその時の破片が入ったままなのだ。生きて日本に帰還できたのは奇蹟に近い。彼は戦争が終ってから日本火災(現日本興亜損保)に入り、社長、会長に就任し、経済同友会副代表幹事、専務理事を務める。
そのような、いわゆる財界人の立場に立ってからも、著者は自分の思考の原点である戦争体験を決して手放さなかった。財界人という立場は、もし彼が目先の俗な利害に迷うことがなければ、経済界全体の動き、政界との関係などを鳥瞰できる立場に立っていることを意味する。この著作を読むと、著者が勲章や名声に視力を落すことなく、誠実に財界人としての役割を果してきたことが分る。
その結果として、著者は「日本の支配層の異常さ」を発見する。平和を願っている国民と、憲法改正、その地均(じなら)しとして教育基本法の改正などのからくりを見破り、そこから「経済界は、なぜ政界のお先棒を担ぐのか」という疑問を抱く。彼の目には「企業社会」と「市民社会」との眼も眩(くら)むような乖離の谷が見えてくる。日本の経済のあり方も、これからの日本の国際社会に受容(うけい)れられる姿もすべて平和憲法を基軸にしなければならないことが、一人の明晰な財界人の目に見えてくる。
この著作ぐらい、説得力を持つ主張とは、知識ではなく、感性に滲み透った思想に立脚していなければならないことを教えている著作は少ないように僕には思われる。
初出メディア

しんぶん赤旗 2006年9月24日
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