後書き

『まさかの大統領: ハリー・S・トルーマンと世界を変えた四カ月』(国書刊行会)

  • 2018/12/28
まさかの大統領: ハリー・S・トルーマンと世界を変えた四カ月 / A.J. ベイム
まさかの大統領: ハリー・S・トルーマンと世界を変えた四カ月
  • 著者:A.J. ベイム
  • 翻訳:河内 隆弥
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(573ページ)
  • 発売日:2018-11-17
  • ISBN:4336062595
内容紹介:
不世出の大統領ルーズベルトの急死により、はからずも(トルーマン自身の言葉)後任を務めたのは、学位も、資産も、州や市の統治経験もない普通の人だった。そのトルーマンが世界や人類史を大激変させた4カ月を最新資料を基に明らかにする。トルーマン就任後の最初の4カ月で、世界は、ナチ・ドイツの崩… もっと読む
不世出の大統領ルーズベルトの急死により、はからずも(トルーマン自身の言葉)後任を務めたのは、学位も、資産も、州や市の統治経験もない普通の人だった。そのトルーマンが世界や人類史を大激変させた4カ月を最新資料を基に明らかにする。トルーマン就任後の最初の4カ月で、世界は、ナチ・ドイツの崩壊、国際連合の発足、数多の民間人を殺戮した日本の市街地大空襲、ナチの死のキャンプ(強制収容所)の解放、アドルフ・ヒトラーの自殺、ベニト・ムソリーニの処刑。ベルリン陥落、沖縄戦の勝利、ポツダム会談があった。ソ連占領下にあるドイツのポツダムで、新大統領は、ウィンストン・チャーチル、ヨシフ・スターリンと交渉のテーブルにつき、新しい世界地図を描いた。人類は最初の核兵器によるヒロシマとナガサキの破壊、そして冷戦の黎明と核兵器開発競争の嚆矢を見た。これほどの短期間に、これほどの歴史的事実が詰めこまれた例はない。「4月12日のルーズベルト大統領の死に続く4カ月は、人類史にとってもっとも重要な期間の一つである。歴史的にこれに匹敵する期間はあり得ない」と当時のニューヨーク・タイムズが書いている。

第二次大戦末期、「普通の男」トルーマンが世界を激変させた4カ月間を最新資料を元に明らかにする

大統領就任前、内外から極めて不安を抱かれていたことで、現第四十五代、トランプ大統領と三十三代のトルーマン大統領はよく似ていた。(偶然、Trump と Truman─ 語尾が異なるだけで苗字も類似している)。しかし、就任後、トランプ大統領の方は、その反グローバリズム、孤立主義的言動が、大陸東西両岸に居住する高学歴層とメディアに嫌われ、国内の支持はほぼ半分に割れている。一方トルーマンは、政治手法は異なるものの、戦争遂行という外的条件のもと、ほぼ前任のルーズベルト政権の政策を継承し、その誠実、公正、率直で効率的な行動が好感され、まもなく広汎な支持を獲得する。そのことは、トルーマンの大統領としての最初の記者会見の終わりに、ルーズベルトのときにはまったく起こらなかったこと、すなわち自然に拍手が巻き起こった、というエピソードに示されている。


アメリカ政治において副大統領職は、大統領選挙において伴走者として大統領との組み合わせを示すことで大統領のPR合戦の主要な一翼を担うほかは、日常において「人類の発明したもっとも不要な職業」(ジョン・アダムズ初代副大統領)として、上院議長を務めること以外に政治的に具体的職務を与えられてはいない。トルーマンがルーズベルトの副大統領として仕えたほぼ四カ月間に原爆の秘密、ヤルタ会談の詳細などの重要な事項の協議に預からなかったことは隠れた主要な問題点の一つである。副大統領は唯一、大統領が死亡ないし事故により執務不能になった場合のみ、大統領に昇格する。有権者は副大統領を大統領適格者として積極的に選出するわけではないので、どうしても昇格した新大統領は、「偶発的」「まさかの」(Accidental)の存在となり得る。前任ウィリアム・ハリソン大統領の病死により、アメリカ史上最初に副大統領から昇格したジョン・タイラー第十代大統領は「まぐれ当たり閣下」(His Accidency ― 閣下=His Excellency のもじり)と呼ばれた。とはいえ、四十五代の歴代大統領で、副大統領からの昇格者は決して少ない数ではない。これまで9人の大統領が昇格者で、前任者の暗殺によるもの4人、病死によるもの4人、辞任(ニクソン)によるもの一人がその内訳である。トルーマンの場合、前任のF・D・ルーズベルト(FDR)があまりにも「大物」、また、第二次大戦の頂点の期間に君臨しており、だれもがその死を想定(健康不安は認めていたにしても)することは出来なかった、または想定したくなかった、という意味でそのアクシデント性が殊更高かったといえたのではないだろうか? 本書『まさかの大統領』のタイトルを解説すれば以上のようなものとなるだろう。

本人自身はこの辺をどのように考えていたのか? ルーズベルトの死の当日、かれは「月と星のすべての重量が落ちてきた」と感じることとなる。まさに青天の霹靂であって、当人にとっても「まさかの」事態であった。しかしトルーマンとても副大統領として大統領との緊密な接触の機会が閉ざされていたとはいえ、最後にルーズベルトと会ったとき、その蒼白い顔色を見て、自分は大統領になることを覚悟している、と友人に伝えていた。起こって欲しくないことは想定したくない、という意味合いで、その青天の霹靂感と友人に語った覚悟とは別に矛盾するものではなく、そのような言葉が存在するのか疑問ではあるが、これは、いわば「未必の」覚悟であって、本人の主観においても、「まさかの」事態であったことは間違いないように思われる。

 
さて、いわば究極の消去法によって副大統領に選ばれたトルーマンは、おおむね過去の副大統領と同じように、機密事項の協議に与かることはなかった。原子爆弾の秘密計画、ヤルタ会談の密約など超重要項目の引き継ぎを受けたのは大統領執務室に勤めるようになって以来のことである。原爆開発のマンハッタン計画は、アインシュタインのルーズベルト大統領にあてた書簡がきっかけである。ウラン原子の連鎖反応が巨大なエネルギーを生み出す可能性について、ナチスが最初に原子兵器に利用してしまうのではないか、ルーズベルトはそのことを怖れて、この遠大な極秘計画を開始した。開発計画はグローヴス将軍以下のごく少数の軍人、オッペンハイマーなどのこれも少数の科学者、スティムソン陸軍長官などの手に握られていた。軍備計画遂行における浪費の監督を行ういわゆるトルーマン委員会のトップとして、上院議員時代のトルーマン自身も、膨大な予算を費消するこの計画の匂いを嗅ぎつけたが、清廉を以て鳴るスティムソンの抑止にしたがって追究を断念した経緯があった。

現実に、人類最初のウラニウム原爆がヒロシマに、続いてプルトニウム原爆がナガサキに投下されたのであるが、投下についての大統領命令書が見当たらないことはほぼ定説となっている。(例、仲晃著「黙殺―下」NHKブックス、2000年。テレビ番組、NHKドキュメンタリー「原爆投下、その知られざる作戦を追う」2017年1月14日放映)。本書もトルーマンが投下を決断した日時を不明としているが、スティムソンを経由するグローヴスの具申、8月1日以降大統領のリリース(放出、投下、新聞発表の意味がある)が可能になるという「提案」に対し、トルーマンは「提案承認、ただし8月2日以前を除く」と手書きし、署名したことを記述している。著者は、この「リリース」と言う単語を原爆投下後の新聞発表の意味、と解釈している。それは多分正しいだろう。それ自体を原爆投下命令ととらえることは無理かも知れない。しかし、いずれにせよ、トルーマンの承認は、「投下」を前提としていることに疑いはなく、明示的でなくとも原爆投下には大統領の決断ないし承認があったと考えることに無理はない。思うに、トルーマンは、決着を迎えんとしている諸戦局の急展開に際し、ルーズベルトの既定路線を遵守するつもりであったに違いない。

もう一つ、ルーズベルトの既定路線は、枢軸国側の「無条件降伏」による戦争の終結であった。古く南北戦争で北軍のグラント将軍が提唱したこの言葉は、1943年1月、チャーチルとのカサブランカにおける米英首脳会談においてルーズベルト提案によって採択され、そのまま無言の大統領引き継ぎの一環を形成していた。対独戦は、トルーマンの政権掌握後まもなく、無条件降伏によって終結した。太平洋では、硫黄島、沖縄の激戦、東京ほか日本本土主要都市の大空襲によって日本の敗戦はすでに時間の問題となっていた。トルーマンは、原爆の開発状況(実験成功時期、実戦投入可能時期)、ヤルタ会談で密約されたソ連の対日戦参加タイミング、対日終戦勧告を発出すべきポツダム会談開催時期の三つの連立方程式の解法に悩んだが、ルーズベルトを引き継ぎ、既定路線であった無条件降伏を尊重することとなった。


前述のようにルーズベルト路線遵守の立場のトルーマンに、原爆を実戦に使用しないという選択肢はそもそもなかったように思われる。とくに軍事支出の浪費に目を光らせていたトルーマンにとって、議会の予算承認手続きを受けていない、当時20億ドル強という巨額の無駄遣いは政権維持に大ダメージになる、という強迫観念となってのしかかっていたと想像しても無理はないだろう。日本の降伏が早過ぎると原爆投下の機会を失うこととなるので、トルーマンは強硬路線を主張するほかなかったのである。となると ポツダム宣言そのものも、〈1〉正式な外交文書の体裁をとっていなかった点、〈2〉「受諾」以外の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみ、という記述がいかにもお座なりで、原爆といった特殊兵器の使用の匂いがまったく感じられないアリバイ造り濃厚、といった点において納得させられるものがある。

 
私事となるが、1945年4月から8月までの四カ月は、訳者にとっても忘れらない四カ月であった。東京杉並の小学校(当時は国民学校)四年となった訳者は、3月下旬から7月下旬まで、宮城県古川町(現大崎市)で集団疎開生活を送っていたのである。場所はさる料亭の大広間で、各学年混合で起居していた。ルーズベルト死亡のニュースはある朝の朝礼で先生から伝えられたことを鮮明に記憶している。子供のことだから、敵の大将が死ねば戦いは勝つ、という観念もあって、その場は嬉しいニュースだったが、もちろんそんなことは起こらなかった。5月25日の山の手大空襲で、高円寺のわが家は全焼した。田舎のなかった一家は、伝手をたどって、仕事で東京にとどまる父を残して、母と姉兄弟で信州伊那に縁故疎開した。訳者が独り集団疎開に残る意味もなくなり、父が宮城に迎えに来てくれて信州の一家に合流した。9歳での四カ月の集団生活はそれなりに訳者の人間形成(大袈裟な言い方だが)に一役買っているかもしれない。

 
さて、トルーマンは普通の人間の典型だった。人々のイメージの中にかれはいた。洋品店へ行くとそこにトルーマンがいた。歯医者へ行くとトルーマンがレントゲンを撮ってくれた。下町でバスに乗るとトルーマンが運転席にいた。このふつうの人が人類初の核兵器を投下する、というアメリカ政治の不思議にいまさらながら思いを馳せている。トルーマンは原爆投下の実績を以て歴史上もっとも論争を呼ぶ大統領、と著者は位置づけているが、個性溢れるさまざまな歴代米国大統領を差し置いて、近年第六位に序列を上げている由である。ハーバート・ フーヴァーはトルーマンの原爆投下の決断を、非倫理的で政治家精神にそぐわぬものと糾弾している。しかし、ルーズベルトからトルーマンへの権力の移行過程を、当時の背景にあわせて検証するに、トルーマンに多様な選択肢、手段が残されていたようにも思われない。 検証すべきは、このような普通の人間に人類史上最悪の決断をさせた米国政治の仕組みそのものであるように思われる。
 
[書き手]河内 隆弥(翻訳家)
まさかの大統領: ハリー・S・トルーマンと世界を変えた四カ月 / A.J. ベイム
まさかの大統領: ハリー・S・トルーマンと世界を変えた四カ月
  • 著者:A.J. ベイム
  • 翻訳:河内 隆弥
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(573ページ)
  • 発売日:2018-11-17
  • ISBN:4336062595
内容紹介:
不世出の大統領ルーズベルトの急死により、はからずも(トルーマン自身の言葉)後任を務めたのは、学位も、資産も、州や市の統治経験もない普通の人だった。そのトルーマンが世界や人類史を大激変させた4カ月を最新資料を基に明らかにする。トルーマン就任後の最初の4カ月で、世界は、ナチ・ドイツの崩… もっと読む
不世出の大統領ルーズベルトの急死により、はからずも(トルーマン自身の言葉)後任を務めたのは、学位も、資産も、州や市の統治経験もない普通の人だった。そのトルーマンが世界や人類史を大激変させた4カ月を最新資料を基に明らかにする。トルーマン就任後の最初の4カ月で、世界は、ナチ・ドイツの崩壊、国際連合の発足、数多の民間人を殺戮した日本の市街地大空襲、ナチの死のキャンプ(強制収容所)の解放、アドルフ・ヒトラーの自殺、ベニト・ムソリーニの処刑。ベルリン陥落、沖縄戦の勝利、ポツダム会談があった。ソ連占領下にあるドイツのポツダムで、新大統領は、ウィンストン・チャーチル、ヨシフ・スターリンと交渉のテーブルにつき、新しい世界地図を描いた。人類は最初の核兵器によるヒロシマとナガサキの破壊、そして冷戦の黎明と核兵器開発競争の嚆矢を見た。これほどの短期間に、これほどの歴史的事実が詰めこまれた例はない。「4月12日のルーズベルト大統領の死に続く4カ月は、人類史にとってもっとも重要な期間の一つである。歴史的にこれに匹敵する期間はあり得ない」と当時のニューヨーク・タイムズが書いている。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

関連記事
国書刊行会の書評/解説/選評
ページトップへ