美しい手が生み出す普通だが非凡な人生
「野本先生は、ほんとに美しい手をしておられる」。本書は、半世紀に五千人以上を取り上げた助産婦野本寿美子の一代記。大正八年、千葉の君津郡に生まれたが、体はひよわ、なにより赤ちゃんが好きだった。赤ちゃんにさわりたい、その一心で看護婦、産婆、保健婦三つの免許をとった。有名な神田の産婆に住み込んだ。賛育会病院に産めよ増やせよの時代につとめた。政治家の二号や料亭の女将(おかみ)の入るゼイタクな個人産院も経験した。そのいかにも時代の見える証言は貴重である。
いやむしろ、ふつうの人生がいきいき語られていることに感動した。昔の女性はなんと向学心が強かったのだろう。二、三時間しか眠れなくてもとび立つ思いで本を読んだ。なんと夢の持ち方が素朴で力強いのだろう。観音様に祈ってつらいことに耐え、易者の占いで進路を決めた。静岡県で試験を受けたのは富士山が一度見たかったから、だそうだ。
そして戦後、農村であった多摩深大寺で開業。ぎりぎりまで畑仕事をし、姑(しゅうとめ)に気兼ねして休息もできない妊婦の生活向上をすすめた。不衛生や迷信ともたたかった。声高に女性解放を叫ばないが、ここに専門性をもって女性の幸福につくした非凡な人生がある。
簡単に切るお産、管理して早く産ませるお産、息をとめていきむお産に疑問をもったころ、立川の助産婦三森孔子と出会う。基地のアメリカ女性がフーフー、ヒヒヒとふしぎな呼吸のお産をする、そこからラマーズ法に出会うとは、これも地縁というべきか。 野本さんはお産の現場からボサボサ頭でお見合いに駆けつけて結婚、三人の子どもの授業参観や卒業式にも出なかった。「それが私の天職だから」
聞き書きは素直ですっきりしているが、欲をいえばも少し語り口を生かしてほしかった。
「規則正しい陣痛が始まって、子宮口が鼻の頭の固さから唇の柔らかさ、瞼の柔らかさになって、髪の毛一本一本の間隔で緩んで、そうして子宮口が一〇センチ開いて、それからやっと赤ちゃんが生まれる」。それをゆっくり見守る、あたたかいお産。ラマーズ法の軽薄なまでの流行のあと、その神髄を見届けるのに絶好の書である。