人くさい仏の手引き、最強の二人の道行き
同行二人。まずは天才写真師こと荒木経惟がこの世に生まれ出た荒川区南千住は浄閑寺。新吉原総霊塔。
俗に、遊女を『生きた観音様』という。観音はひらく。観音はゆるす。観音はすくう。遊女が客を満足させることを『ぶち殺す』という。――殺された翌朝は、まっさらな魂に生まれ変わって、送り出される。そして、死にきれぬ野郎は、永劫の観音詣でにとらわれるのである。
案内するのは江戸の達人杉浦日向子。特大活字の文章がいい。最強のカップルで道行きだってさ。
荒木さんは変哲のない町を撮ってもどこか違う。同じ町を同じカメラで撮っても、こうはいかない。自動販売機も陳列台もクーラーの室外機にまで精霊が宿るみたい。建物の影も落ち葉もゆらゆらとうごめいて語りはじめる。ふつうの町がいきなり霊界になる。そして空まで、雲までがアラーキーに味方する。
「江戸っ子だったら『おひち』かね」
「八百屋って放送とかじゃダメだよね。青果業でしょ。八百屋お七こと青果業ナナか」
「放火罪で火あぶり。かぞえで十六。いまでいうと中学生か。にしても、ばかだねえ」
自在な会話がつづく。観音は不完全な仏さまで、人を救うためにこの世に降りてきたけれど、じつは悟りのきわみにいたらぬ修行途上の仏だ。だから仏くさいより人間くさい。二人はそこが好きなのらしい。
「夭折の天才なんてのは、ずるいよ、反則技だよ。さっさと俗世から足洗って」
そうしてみると、だれでもいきなり観音になれる。境内を掃除する少女も、ベンチに腰かけたおばあさんも、猫も。そしてヒナッちゃんと呼ばれた樋口一葉の遺影も、もちろん杉浦ヒナちゃんも観音。
「ひとはどこから来てどこへ行くのか 『筒から来て筒より出ていくのさ』 とうちゃんの筒の先っぽからぴゅっと来て、焼き場の煙突の先っぽよりふうっと出る」
同行二人、生と死のあわいに生きている。なんだか半分、この世の人ではないみたい。