生への情熱淡々と 率直誠実な半生記
一九四六年生まれ、東京大学卒業、コーネル大学でドクター取得、現在慶応大学教授である女性の半生記というと、恵まれたエリートの軌跡かと思いがちだ。しかし、学問を志すとはそんなナマナカなものではないはず。多くの人と出会い、悩み傷つき、成長していく、これは一つの率直きまじめなビルドゥングスロマンとして読める。
著者は東大闘争のさなかに学生生活を送り、その体験を「日本の占領とその後のオランダの再支配のなかで、自由を求めて立ち上がったインドネシアの青年たち」を重ね、研究対象を決める。大学院にすすみ、学生結婚をし、インドネシア貧乏留学を果たす。
夫の留学先でサイゴン陥落を目のあたりにし、さらなるコーネル大学では英語力に苦しむ。「私の授業がよくわからないかね」「はい、英語が……」「アイム・ソーリー。アメリカ人でも私の英語はわかりにくいと言ってるよ」。ウォルターズ教授は水曜日に、やさしい、ゆっくりした英語で個人授業をしてくれた。こうした人びととの印象的な出会いが本書を彩る。
無事博士課程を終え、一九八〇年再びインドネシアに農村調査に入る。「歴史学にオーラルリサーチ、つまり聞き取り調査を導入するというやり方は、まだ市民権を獲得していなかった」。しかし文献のない分野では聞き取りなくして歴史を記すことはできない。
著者は果敢に、テープレコーダーとカメラ、そしてタイプライターをかかえ村から村へと渡り歩く。お手洗いもない。ジャワ語で四苦八苦。インタビュー相手の公正な選び方、ウラの取り方、くいさがるしつこさ。なにより、かつて彼らを苦しめた日本人である自分が、つらい体験を話させていいのかという自問。こうした誠実な方法論によって名著『日本占領下のジャワ農村の変容』は成った。つづく離婚、再婚、子育ての困難も淡々と語られているが、生きることそのものに対してもエネルギッシュだ。若い女性、とくに研究者を目指す女子学生にはぜひとも読んでほしい本である。