徹底的取材の裏打ち、誇り高い女性を発見
時おり、阿部定がリバイバルする。 昭和十一年五月十八日、尾久の真佐喜旅館で愛人石田吉蔵の首を絞め、その局部を切り取って逃げ、二日後に品川で捕まった。懲役六年。その「予審調書」は正直で明晰だ。「私はあの人が好きでたまらず自分で独占したいと思い詰めた末、あの人は私と夫婦でないからあの人が生きていれば外の女に触れることになるでしょう。殺してしまえば外の女が指一本触れなくなりますから殺してしまったのです」。最新刊、清水正「阿部定を読む」(現代書館)は、快楽に倦怠した吉蔵は阿部定という女を利用して自殺したのではないか、などと優れた読みを示す。
片や本書は、彼女の生い立ちと、とりわけ謎の多い事件後の人生を、徹底的に足で洗う。「予審調書」が深く広く見え出す。「本校は阿部定の出身校ではけっしてない」と言明せざるを得なかった校長。捕まった部屋を公開し弁士をつとめた旅館の主人、獄中に届いたファンレター一万通。「お定はどこに逃げたろう」「それは地上の涯(痴情の果て)さ」というジョーク。罪を犯しながら大衆を納得させ、愛させてしまうお定マジックを、資料と取材であとづけている。
違和感もなくはない。「男なしではいられない」「妖艶な姿」「イチモツ」といった通俗的表現はむしろ本書の趣旨に反するだろう。聞き書きという手法自体をもう少し疑ってもよかったのではないか。
それでも私は定を追って払われた労力に感動する。定の一生に影を落とす女衒(ぜげん)柳葉正武が、高村光雲門下の木彫師だったとはびっくりだ。「昔の話は一切なしよ」といいながら、お定の看板を売り物に、仲居になったり、映画に出た背景もよくわかる。
「男に捨てられても、日にちが薬で、また好きな人ができてしまうものなのよね」「おしんこに醤油なんか、そんなにビシャビシャかけるもんじゃないよ」
何人パパさんがいて、いくらお金が入っても、定は路地暮らしから抜けられなかった。世間から自由に生きた落としまえをつけ、孤独と向きあいつづけた。「こんなかわいい女がいたのか」と著者は書きはじめ、「こんな誇り高い女がいたのか」と私は読み終えた。