書評
『「男はつらいよ」を旅する』(新潮社)
時代に取り残されたような小さな町を掬(すく)いあげた物語
いま、ある世代以上の日本人は、よく覚えている。登場から退場までを見送った。姓は車(くるま)、名は寅次郎。年齢不詳、住所不定、職業テキ屋。東京江戸川べりの葛飾・柴又の生まれ。生来の風来坊。「おいちゃん」のもとでしばらく厄介になっていたとおもうと、ちょっとした馬鹿をしでかしてプイととび出していく。行く先々で好きな人ができるが、たいてい片思いで、さびしく立ち去ってケリがつく。
そんな単純なつくりの映画が計四十八本のシリーズとなり、以来半世紀ちかくたったのに、くり返し上演されて人気が衰えないのはどうしてだろう?
映画評論を本業とし、旅好き、鉄道好き、ちいさな古い町が大好き。たぶん、やさしい女性に惚れっぽい人だろう。いわば近代化された寅次郎が、フーテンの寅さんの歩いた町を歩き、乗った鉄道に乗り、ながめた風景をながめて、詳細な報告をしたためた。そこから新しい「男はつらいよ」が誕生した。
町の人にとって寅はえたいの知れぬよそ者だが、どこであれ愛されるのはなぜだろう?「寅はどこからともなくやってきて福をもたらし、また去ってゆく『まれびと』である」
ノーテンキな愛嬌(あいきょう)者だが、いつもそうとはかぎらない。テキ屋稼業の厳しさは身にしみて知っているし、私は初めて知ったのだが、こんなシーンがまじえてある。
宿に泊った寅が、夜、机で何か書きものをしている。なんとその日の売り上げを書き留めている!(「寅次郎紙風船」)
わきにポケット時刻表が置いてある。何度もひらいて、あくる日の予定を思案したにちがいない。
五作目あたりから主人公が日本各地を旅するようになり、シリーズはロードムービーの性格を強めていく。おりしも戦後高度成長のまっ只中で、田中角栄『日本列島改造論』がもてはやされた。日本の国土が土建屋に売り渡されて、昔かたぎの古い町は、しだいに取り残されていく。寅さんはまさにそんな町へ行く。青森県鰺ヶ沢、備中高梁(たかはし)、津山、勝山、龍野(現たつの市)、信州奈良井宿、佐賀県の小城(おぎ)……。映画を見て、はじめてその町を知ったという人も多いはずだ。はなばなしく国鉄(当時)がキャンペーンをした「ディスカバー・ジャパン」に異議を申し立てる「日本再発見」である。そこへ一人の極楽トンボが降り立った。
ローカル線の行きかいする、ちいさな、懐かしい町というだけではない。そこでは住人は、一歩家を出ると、たえず挨拶しなくてはならない。いたるところに知り合いがいる。年に一度の祭礼がはなやかなのは、ほんのいっときの息抜きの日であるからだ。伝統と因襲がよどんだ町にあって、若いときは出ていくことを願いながら、とうとう出ていく勇気をもたぬまま年をとった。
寅次郎の背後には、そんな日本人社会がある。知ってか知らずか、われらの風来坊が、そこをそっとかすめて通る。ほんのしばらく波紋があって、やがて元のしずもりにもどるだろう。その後、さびれ果てた町であれ、誰もが寅のことをよく覚えていた。川本三郎はシネマ紀行にかこつけて、そんな日本人社会の旅をした。
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