解説
『マイ・バック・ページ―ある60年代の物語』(河出書房新社)
さらば、夏の光よ
川本さんにお目にかかってからまだ二年しかたっていないのに、なぜか、二十年来の友人のような気がする。おそらくそれは、『キネマ旬報』一九七三年正月特別号の映画評に「川本三郎」の署名を見いだして以来、川本さんの書いたものなら目につく限りのものを読んできたためだろう。もちろん、「チンピラにラブ・ソングを!」と題された、この『生き残るヤツ』の映画評を読んだ瞬間に、「川本三郎」が「あの事件」の被告として新聞に出ていた「川本三郎」であることはすぐにわかった。そして、その一字一句が、この映画の主人公と同じようにシャバに出て来たばかりの川本さんの心情を託したものであることも十分に察しがついた。「都会がどんなにうすよごれゴミゴミしていようが、そして、都会の人間がどんなにぶよぶよで醜くかろうが、チンピラはこの都会のうすぎたなさの中でしか生きられない。(……)都会がどんなにチンピラたちをたたきつぶそうが、匹夫の勇もまた、彼女の膝まくらある限り、元気を回復し、都会に反撃を加えるのだ。チンピラにラブ・ソングを!」(『朝日のようにさわやかに』収録)
これは、あきらかに、連合赤軍事件以後の「うすぎたなさの中でしか生きられない」同時代の若者に対するラブ・ソングであると同時に、川本さんが朝霞自衛官刺殺事件で深く傷ついた自分自身に送った応援歌だった。だから、これを読んで、思わず「ここに、あなたの信号を受信している読者がいます。頑張ってください」と心の中で叫んだことを覚えている。というのも、この一九七二年から一九七三年にかけて、私もまた、大学五年生として、政治的にも個人的にも、最低の状態にあり、することといったら、場末の映画館でB級映画のヒーロー、ヒロインに自分を重ね合わせる以外になかったからだ。あの頃は、まだ『ぴあ』もなかったから、『キネ旬』が出るのが待ち遠しく、発売と同時に川本さんの批評をむさぼるように読んで一々相槌を打ったものである。一九七〇年代も後半になると、私は徐々に映画を見なくなったが、それでも一九七七年に川本さんの処女評論集『朝日のようにさわやかに』が出版されたときには、我がことのようにうれしかった。文芸雑誌や一般誌にも「川本三郎」の名前が登場するようになると、最初から「買い」に回っていた俺の目はやっぱり確かだったんだなと誇らしい気持ちになった。
だが、それと同時に「川本三郎」の名前がメジャーになってからは、「あのときのこと」に触れないでこのまま済ませてしまっていいんだろうかという思いが心の隅にひっかかっていた。別に隠しているつもりはないのだろうけれど、もう「あのときのこと」を知らない読者のほうが圧倒的に多くなってきているんだから、むしろここらではっきり「総括」してしまったほうが気持ちの整理もつくんじゃないか、さもないと、マドレーヌ氏に化けたジャン・ヴァルジャンみたいに余計苦しむことになると、他人事ながらやきもきしていた。
だから、一九八八年の暮れに、出たばかりの『マイ・バック・ページ』を河出書房新社の編集者からもらったときには、全然関係のない他人なのに「やっと書けたんだね、よかった、よかった」と川本さんのところにいって、直接ねぎらいの声をかけてやりたい気持ちになった。とりわけ、「あとがき」を読んだときには、京王線の電車の中なのに涙がこぼれて、俺も「泣く男」になったのかとまいったものである。
その晩は、興奮してなかなか寝つけなかった。ベッドから起き上がって、もう一度本を開くと、昔の記憶の断片が鮮明な画像になって蘇ってきた。コルトレーン、三島由紀夫、高橋和巳、鈴木いつみ、内ゲバで死んだ学生たち、それに自殺したりドロップ・アウトした友人たち。新宿のフーテン、深夜営業のジャズ喫茶、淀橋の浄水場、シネマ新宿、日比谷公園や明治公園での集会、蒲田の駅前、機動隊のジェラルミンの盾、10・21、1・18、19、そしてなによりも、あの暑い夏の光と、冬の冷たい青空。
このときには、よもや自分が解説を書く身になろうとは考えてもみなかったが、それでも、最も古い「川本三郎」の読者として、この本の一字一句がわかる人間はそうはいないだろうなと感じたことだけは確かだ。自分の体験と川本さんの体験が重なる部分があると、そこのところが二重映しに映像を重ねたときのように特殊な光を放ち、さらにあの時代の大気や埃の匂いまでが感じられてくるように思ったものだ。最近、川本さんは「同時代性」という言葉をあまり使わなくなったが、「同時代性」というものがあるとすれば、それは、こうした二重映像のうちに一瞬あらわれる、光とか空気とか匂いといったものなのだろう。
だとすれば、ここでは、いたずらに「解説」などを付け加えるよりも、むしろ、こうした「同時代」の「光」や「大気」を蘇らせるように努めたほうがいいのかもしれない。
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