書評
『『細雪』とその時代』(中央公論新社)
阪神間モダニズム崩壊の美
私(評者)は谷崎が『細雪』で描いた土地柄に、インサイダーとして通じていると思う。実家は谷崎が転々とした神戸市東灘区の魚崎にあったし、物語が展開される昭和11年から16年、さらに執筆された17年から終戦までの時期に谷崎が松子夫人と住んだ「倚松庵(いしょうあん)」は、洋館や千坪以上の邸宅が並ぶ住吉川沿いで、新興成金であった私の祖父母が暮らした住居の対岸にあった。そんな私事を書くのは、『細雪』が緻密に描き出す富裕層の消費文化は、内部に身を浸してこそその甘美さと表裏一体のおぞましさを理解しうると思われるからだ。
本書が『細雪』にかかわる多くの論考や新文化の歴史的由来について注を連ねつつ説明するように、夫が大阪(船場)で仕事をし、妻子が神戸に住み京都で遊ぶ、それが明治末から戦前一杯まで阪急沿線や芦屋、住吉川沿い(観音林、反高林(たんたかばやし))で女たちが享受した「阪神間モダニズム」の仕組みであった。床の間に横山大観の軸が掛かる和室で踊りのお師匠さんが舞い、高級自動車で神戸に出れば谷崎が命名した洋食屋「ハイウェイ」でステーキを食する。写真や映画、美容院といった新文化も阪神間で育った。
だがそれは階層を維持しようとする排他的かつ差別的な視線によって成り立っていた。カメラマンの「板倉」は船場の貴金属商・奥畑商店の丁稚出身である。蒔岡四姉妹の四女・妙子は、婚約者である奥畑家の「坊ち」よりも板倉に惹かれる。その板倉に向けられる蒔岡家の言葉は耳を塞ぎたくなるものだ。「丁稚上りの無教育な男」「岡山在の小作農の悴」。三女の雪子まで「あたしかて、板倉みたいなもん弟に持つのんは叶わんわ」と吐き捨てる。私も身辺で少なからず耳にした言葉である。
社会学者P・ブルデューならば「ディスタンクシオン」(差別化・卓越化)と呼ぶであろう特定の階級のみが享受しえた阪神間の文化資本は、侮蔑語に満ちてもいたのだ。フランスの寒村出身のブルデューであれば怒りを込めて暴きたてるのは分かる。だがアウトサイダーである谷崎が裏面をも含めこの文化を小説に仕立てたのは何故だろうか。
川本は、谷崎は「たおやかな女の世界」の甘美さのみならず、「滅んでゆくさまのなかに美しさを見ようとした」と結論している。なるほど谷崎は、この消費文化は永続しないがゆえに輝きを増したと直観し、だからこそ崩壊の予兆を細かに書き込んだのであろう。
能力を伴わない階層の矛盾だけではない。川本は東京が復興して大阪を凌ぎ、その東京も太平洋戦争でやがて壊滅するという時間の流れを指摘している。蒔岡家は船場から脱落、本家は上本町に、次に東京へと移住するが、船場もまた時代にとりのこされてゆく。
次女幸子の居宅は芦屋川の西岸から七八丁離れ、省線の南にあると設定されている。川本は「芦屋」によって高級感を出したと説明するが、地元民はそう理解しない。その場所は市制が敷かれ芦屋市に編入される昭和15年まで武庫郡に属し、当時は芦屋川両岸と東側の打出までの一帯だけを指していた「芦屋」から外れている。それを「芦屋の家」と詐称するところに蒔岡家の見栄と没落が暗喩されている。意地悪な谷崎は、土地柄の階層秩序を正確に理解している。
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