稀代の寝業師が研究尽くした道
国際武道大学名誉教授である著者は柔道競技における稀代(きたい)の寝業師。1980年モスクワ五輪65キロ級日本代表だったが、政府がボイコットし派遣されなかった。本書は半生を振り返った自伝で、もう一冊がQRコードで封入されている。名著『寝技で勝つ柔道』(1998、ベースボール・マガジン社、以下『寝勝』と略記)の動画版(2007)である。近年、柔道で寝技が注目を浴びている。対談が収録されている女子48キロ級の角田夏実選手は昨年のパリ五輪で、もう一人の濵田尚里選手は4年前の東京五輪78キロ級で優勝したが、濵田の決勝戦には目を見張った。柏崎氏が優勝した81年マーストリヒト世界大会決勝と、寝技の手順が瓜二つだったのだ。40年の時空を隔てた両者の試合を並べた動画がSNSで拡散された。『寝勝』は現役なのだ。
柔道の寝技には、仰向けの相手に覆いかぶさる、投げでもつれ「亀」姿勢でうずくまる等、「静止」が一般的なイメージがある。対照的に『寝勝』の寝技は動的である。中心には、片手は肩越しに帯を持ち片手を脇に差す「横四方固(がため)」がある。相手が暴れるに応じてそれが崩上(くずれかみ)四方固、上四方固、縦四方固、後袈裟(けさ)固と「移行」すれば、巨漢からでも一本を取ることができる。
抑え込みに至る過程にも、「亀」を正面から、横から、背後から攻める、足絡みを抜く、正対する等、横四方固に近い姿勢が配される。相手とのせめぎ合いの動的平衡において要所を制するのが姿勢ごとの「基本技」であり、その連携が「星座」のような体系として示される。
何が中心であり基本か、どう連絡するかは、いかにして見出されるのか。日々の対人稽古は仮説を立て検証し、修正する過程だという。研究者的な思考法である。自伝はそれが育まれた背景を明かしている。
一読して驚くのが、一流選手にしては珍しい競技成績だ。岩手県久慈市の三船記念館に所属した小学校時代、勝てなかった。中学校時代も県大会に進めなかった。久慈高校時代には3度腕を骨折し、背負投が使えなくなった。
普通なら競技を変更するところ、著者は逆に「柔道の虜(とりこ)」となった。試合のイメージトレーニングや寝技の仮説検証に没入したのである。「技術もさることながら、本人のやる気を上手に引き出す」二人の恩師に、三船記念館と久慈高校で出会ったからだ。
大学からはスカウトされず、柔道部でも「一軍」の寮に選抜されなかった。この時期に『寝勝』の骨子は完成した。卒業後、茨城県の県立多賀高校で教員となり、全日本体重別を4度制し、五輪代表にも選ばれた。柔道部は白帯ばかりで日常は「一人稽古」。乱取りは週一度、汽車に乗っての出稽古だった。一線の柔道家ではありえないが、秘訣はこの環境を不遇ではなく「有利」と理解したことにある。この心理操作が本書の白眉だ。
著者自身の「教育」は、生徒たちが責任を果たし最善を尽くす研究を温かく見守ること。白帯の多賀高校柔道部は黒帯強豪校にタックルと寝技で対抗し優勝したものの、表彰式で会長から「柔道ではない」と侮辱された。激怒した著者は表彰状とメダルを捨てさせたが、部員たちとの絆はいまなお続いている。研究する心と絆が「柔道に育てられ」たのだ。