後書き

『ランニング・ワイルド: 世界至極のトレイル16章』(青土社)

  • 2025/04/01
ランニング・ワイルド: 世界至極のトレイル16章 / ジュリー・フリーマン
ランニング・ワイルド: 世界至極のトレイル16章
  • 著者:ジュリー・フリーマン
  • 出版社:青土社
  • 装丁:大型本(256ページ)
  • 発売日:2025-03-26
  • ISBN-10:4791776860
  • ISBN-13:978-4791776863
内容紹介:
私も主人公になれる

ページを捲るたび、軽やかな風が頬をなで、木々のざわめきが聞こえ出すかのように、未知の世界へ引き込まれる。
走る理由は一つにとどまらない。尽きない発見と可能性の予感と共に、一歩を踏み出したくなる一冊。
プロ ウルトラトレイルランナー
宮﨑喜美乃氏推薦!!
「この入口から森に入ると、山は市の境界線を越えて、隣町の葉山の先までつながっているんだよね」
そう夫に誘われて、家の裏山を散策するようになったのは15 年前のことでした。東京都杉並区から神奈川県逗子市に引っ越してきたばかりの私にとって、家のすぐ裏に自然へとつながる入り口があるなんて、それだけで新鮮だったこ
とを覚えています。

登山道入口の看板があるわけでもなく、名前のついた道が整備されているわけでもない、ただの裏山。最初は「入っていいの?」という戸惑いもありましたが、歩き出してみれば、森って気持ちがいいものです。自然に出会うのに、遠くの有名な山まで行く必要はないのだと気がつきました。

木々の間から差す日の光は美しく、スミレやふきのとうを見つければ、春の訪れを感じます。苔に覆われた岩場から水が滴り落ちるのを見れば、降った雨を受け止めて麓に戻す森の循環力に感激します。たまに熟した野イチゴに出会えたりすると、宝物を見つけた子どものように心が踊ります。

日常生活からほんの少し離れて、舗装路ではないデコボコした山道を歩くと(時に走ると)、呼吸が深くなり、心がほぐれ、視界も思考も広がっていきました。それは一緒に連れ出す我が子たちも同じで、海や森に遊びに行った日は、とても満たされているように見えました。

そんな風にして、いつの間にか日常的に森を歩くようになった頃、裏山のトレイルに入ることを躊躇していた自分を思い出して、ハッとしました。私(または私たち人間)はいつからそんなに自然と切り離されてしまっていたのでしょうか。ほんの1 ~ 2 世代前まで、人の暮らしと地域の自然は一続きであったはずでした。誰もが近所の里山から食べ物や薪など暮らしの糧を得て、代わりにその循環を妨げないよう、地域の皆で保全を行っていました。そんな当たり前の風景が自分の中に(または人間社会の中に)なくなりつつあることは、生き物として不自然なのではないかと感じるようにもなりました。

衣食住のほぼすべてが、お金さえ払えれば手に入る便利な時代に、今さら「森から糧を得る」ような暮らしに戻るのは難しいかもしれません。だとすれば、子どもと遊ぶことを通して、自然に接続する時間を増やしてみたらどうだろう。せっかくだから、自分の子どもだけでなく、地域の子どもたち皆に声をかけて、一緒に海や森で遊びはじめてみたらどうだろう。大勢でこの町の自然を好きになり、大切にすることができたら、もっと気持ち良く生きていくことができそうではないかーそんな思いから、仲間とともに、小学生の放課後自然クラブ「黒門とびうおクラブ」や保育園「うみのこ」を運営するようになり、現在、法人化して8 年目となります。

子どもたちは、春と夏は海で思いきり身体を動かします。秋冬になると地元の森に入り、鬼ごっこで駆け回ったり、焚き火をしたり。暗くなればヘッドライトをつけて、暗闇でかくれんぼもします。小学校上級生になれば地元の森を離れて八ヶ岳を歩いたり、箱根や丹沢でテント泊をしながら富士山を目指す冒険なども重ねてきました。

そんな一連の活動の中で、森を駆ける爽快感に気づいた11 ~ 12 歳の子どもたちが、子どもによる子どものためのトレランクラブ「逗子スカイランナーズ」を作ったのは、2020 年のことでした。新型コロナウィルスの蔓延で学校が休校になり「時間があるから」と走り出した子どもたち。はじめはただ楽しくて数人で集まって走っていたのが、少しずつ、県内外のトレラン大会で頭角を現すメンバーも出てくるようになりました。町の飲食店からサポートを受けるようになり、町外の(大人たちの!)トレランクラブからも交流のお誘いが来る中で、後輩が増えていきました。初代の部長だった山岸と大志くんは、中学3 年生のときにスカイランニングのユース日本代表選手に選ばれ、2022 年にアンドラ公国で行われた世界大会に出場(2025 年夏にもイタリアの同大会に参加予定)、二代目の部長だった高木耕造くんは高校1 年生ながら、2024 年度全国高等学校駅伝競走大会で神奈川県代表の出場チームに名を連ねました。

高校生になった彼らは自分のトレーニングに忙しい中、今も時折、小学生の練習に顔を出します。後輩たちは共に山を走る先輩の背中を見ながら、今、それぞれに夢を描いています。小学生時代の活動は、週に何度か声をかけ合い、逗子や葉山の森を走る。それだけです。大会情報の提供などは大人も手伝うけれど、その日の行き先や練習内容、運営の方針などは100%子どもたちの自主運営です。その中で少しずつ、約束事ができていきました。

「すれ違う人には挨拶する」「ゴミが落ちていたら拾う」「リュックにはヘッドライトと行動食、エマージェンシーシートを必携」「一番ゆっくり走る仲間を先頭に行かせる」など、どれも山で楽しく安全に過ごすための彼らの知恵だったのでしょう。子どもたちが実体験をベースにして話し合い、文化を作っていく様子に感心しました。いかにも楽しそうに、かつ軽やかに走る姿には、憧れの気持ちさえ抱くようにもなりました。

刺激を受けて、私自身も少しだけ、トレイルランニング=山を走る、という世界に足を踏み入れるようになりました。まさか大人になって、足下を泥だらけにしながら(時には顔から蜘蛛の巣にも突っ込みながら)山道を駆けるようになるなんて、人生わからないものです。

時間帯によっても、天候によっても、季節によっても違う、刻々と変化する自然を感じながら走っていると、笑みがこぼれます。壮大な自然に抱かれて自分の小ささを感じ、日常の忙しさなど取るに足らないことのように思えてきます。こんな風に、全身で遊びながら「今・ここ」を取り戻す方法を教えてくれた子どもたちには、感謝してもしきれません。

小さなトレイルランナーたちが地元の山々と向き合いながら少しずつ行動範囲を広げ、日本全国、そして世界にも目を向け始めた頃、2022 年に、英語版の『ランニング・ワイルド』が創刊されました。走る人でなくても、自然が好きな誰もが一生に一度は訪れたいと感じる、世界中の美しいトレイルを紹介する写真本です。

編集者のジュリー&サイモン・フリーマンは『Like the Wind』誌を通して、ランニングの哲学を世界に発信し続けてきました。本書でも、季刊誌同様、ハウツーではなく「人はなぜ走るのか」をテーマに、地元を愛するランナーたちの語りを通して、世界中のトレイルを紹介しています。友人の勧めで初めて英語版の本書を手に取った時、世界の山々の美しさに心を掴まれました。フランス、イタリア、スイスと国境を越えながら続くモンブランのトレイルはいつか歩いてみたいと感じたし、ブリティッシュコロンビアの氷河と紅葉のコントラストや、ヒマラヤの圧倒的な荘厳さにハッとさせられました。

「この美しい写真本を、これから世界に出ていく若きランナーたちに贈りたい」。そう思って周りに相談すると、青土社の福島舞さんにつながりました。福島さんは、編集者として「走る」ことをテーマにたくさんの本を手掛けながら、トレイルランナーとしてもセミプロで活躍しています。そんな福島さんに相談に乗っていただきながらこの本を翻訳し、出版できたことを、有り難く心強いことでした。

また、福島さんを紹介してくれたのは、100 マイル(160km)もの距離をプロとして走るウルトラトレイルランナーの宮﨑喜美乃さんでした。宮﨑さんは、本書3 章に登場するウルトラトレイル・デュ・モンブラン(通称UTMB)や、本書5 章に登場するコルシカ島の大会を始め、国内外の大会に挑戦して活躍している友人で、逗子在住だったときは、よく子どもたちと一緒に走ってくれていました。

学校がはじまる前、日の出と共に集合して、朝の光を浴びながら世界的なランナーと一緒に地元の森を走ることができた子どもたちは幸せです。宮﨑さんがいてくれたことで、彼らにとって「世界」がグッと近づいたように思います。同じように、本書を通して、読者の皆さんにとっても世界中のトレイルを身近に感じていただけるようになったら、翻訳者として本望です。まずは自宅の裏山でもいいし、旅行先でもいい。走るのが好きな人も、私のように歩くほうが気楽な人も、是非一度、トレイルに足を踏み入れてください。本書が「今日、森に行こうかな」と思うきっかけになれば、こんなに嬉しいことはありません。

[書き手]小野寺愛

一般社団法人そっか共同代表。日本スローフード協会理事、エディブルスクールヤード・ジャパンのアンバサダー。NGOピースボートに16年間勤務し、世界中を旅する中で「グローバルな課題の答えはローカルにある」と気づき、神奈川県逗子市にて海と森を園庭とする保育園「うみのこ」や小学生放課後の自然学校「黒門とびうおクラブ」の運営に情熱を注ぐようになる。子ども・自然・食がライフワークで、翻訳本に米国オーガニックの母アリス・ウォータースの新著『スローフード宣言~食べることは生きること』(海士の風)、2024年には映画『食べることは生きること~アリス・ウォータースのおいしい革命』をプロデュース。
趣味はカヌー、畑、おせっかい。三児の母。
ランニング・ワイルド: 世界至極のトレイル16章 / ジュリー・フリーマン
ランニング・ワイルド: 世界至極のトレイル16章
  • 著者:ジュリー・フリーマン
  • 出版社:青土社
  • 装丁:大型本(256ページ)
  • 発売日:2025-03-26
  • ISBN-10:4791776860
  • ISBN-13:978-4791776863
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私も主人公になれる

ページを捲るたび、軽やかな風が頬をなで、木々のざわめきが聞こえ出すかのように、未知の世界へ引き込まれる。
走る理由は一つにとどまらない。尽きない発見と可能性の予感と共に、一歩を踏み出したくなる一冊。
プロ ウルトラトレイルランナー
宮﨑喜美乃氏推薦!!

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