世界中の翻訳者に愛される場所とは、ドイツのシュトラーレン市にある翻訳者レジデンス、本書で「翻訳者の家」と呼ばれている施設のことです。「翻訳者の家」は、どの国籍の、どんな言語の翻訳者でも受け入れている、世界最大のトランスレーター・イン・レジデンス。その場所と出会い、そこに通うようになった著者が、そこでの生活をさまざまな角度から綴っていきます。
ここでは、本書の第一章より「増殖を続ける図書室」というエッセイを特別公開いたします。世界中の言語の本に囲まれた「翻訳者の家」の様子を、ぜひ覗いてみてください。
増殖を続ける図書室
「翻訳者の家」は、町の広場からほど近いところにある複数の家をぶち抜きにして使っている。そのため、建物のなかのいろいろな場所に階段があり、中2階のような部屋もあるし短い渡り廊下もあったりして、不思議な構造になっている。玄関を入った左側がオフィス、右側が共通のキッチン、そのあいだをまっすぐ進むと図書室のなかに小さなホールがあるが、その手前には新着本や雑誌が置いてあり、壁沿いに本棚も並んでいる。本棚は至るところにある。階段の踊り場、廊下、各ゲストルーム。2階には小ホールからの吹き抜け部分を囲むようにして、参考文献などの棚が並んだ図書スペース。玄関から遠い建物の1階にあるセミナールームも本棚に囲まれている。キッチンとバスルームとオフィス以外の場所にはとにかく本があり、その数は増え続けている。新刊を取り寄せているだけでなく、ここに滞在した翻訳者たちが世界中から本を送ってくるからである。滞在中にここで翻訳した作品がその後自国で出版された場合、1冊を献呈する決まりになっている。ということは、「翻訳者の家」が利用されればされるほど、どんどん本が送られてくることになる。ドイツ語から各言語への翻訳だけではなく、各言語の作品がドイツ語に翻訳される場合もある。どの本がどの棚にあるか、という情報はファイルになっている。たとえば日本語からドイツ語に翻訳された書籍が、どこかのゲストルームにまとめられている。そのゲストルームに泊まっている人がいなければ、本を見にいくことができる。いや、たとえ泊まっている人がいても、「本、見せてくださーい」とお願いして見にいくことができるし、滞在中、借り出すこともできる。ヨーロッパのいわゆるマイナー言語の本もいろいろある。アイスランド語とか、カタロニア語とか、アルバニア語とか、ラトビア語とか。これまでに3度、「翻訳者の家」に泊まったが、最初はオランダ語の本がたくさんある部屋だった。次はイタリア語文学が置いてある部屋に泊まった。3度目の部屋には英語からドイツ語に翻訳された書籍がかなりあった。滞在中は、そんな本棚の背表紙を見ながら過ごすことになる。
玄関からオフィスにもキッチンにも行かずに階段を上がると、3階に上がったところの廊下に日本語の辞典類が置いてあった。小学館の独和大辞典もあるし、歌舞伎や日本美術についての事典もあって「おっ」という気分になり、思わず手にとって読みふけることもあった。そもそも、いろいろな言語の、さまざまな参考文献があった。これは、計画的に買い集めたというよりは、誰かが少しずつ置いていったのか、あるいは寄付してもらったのか。迷路のようにつながる廊下、30以上あるゲストルーム。そのすべてに、本棚が並んでいる。しかも、本の位置は、少しずつ移動している。日本文学の置き場所は、いつのまにか別の部屋になった。本の冊数が増えるたびに、分類に従って少しずつ移動させているのだろう。置き場所の確保と蔵書の整理は相当大変そうだ。
奥のセミナールームには、主にドイツ語圏の現代作家たちの本が置いてある。一人の作家、たとえばギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』が数多くの言語に翻訳されたバージョンで並んでいる。その部屋で、自分が訳している作家の本を探し、「あ、中国語もあった」「アラビア語にもなってる!」など、仲間を探すのは楽しい。原書が親だとすると、翻訳はそこから生まれ、各国に散っていった子どものようだ。原書と同じような装丁のものもあれば、まったくイメージの違う表紙の本もある。
同じ作品を訳している翻訳者とは、なんとなく気が合うように思う。同じ作品が好きで、何か月もかけて翻訳しているわけだから、仲間意識が芽生えるのも当然だろう。「作者には会った?」「うん。フランクフルトのブックフェアで!」「そう。あの人、さっぱりしていて親切で、話しやすいよね!」と話が弾んだりする。
「翻訳者の家」では、有名な作家の作品が翻訳される際、各国の翻訳者をあらかじめ招いてセミナーを開くこともある。前述したギュンター・グラスのような場合だ。作者本人がそこに同席し、翻訳者たちの質問を受け付けたり、自作の解説を行ったりする。作者にとっても、執筆のときには思いもよらなかった翻訳者からの質問やコメントを聞くことは、刺激的で新鮮な体験なのではないだろうか。
日本の国際交流基金が、これと少し似たイベントを行ったことがある。2021年のオンラインイベントで、同じ文学作品(日本語)の翻訳者たちに参加してもらい、作者を囲んで(といっても画面上でだが)一緒に語り合うのだ。初回は柴崎友香の『春の庭』がとりあげられ、オランダ、フランス、イギリス、台湾でその作品を訳した翻訳者が登場した。2回目は多和田葉子の『献灯使』。このときの司会は、わたしが担当した。翻訳者はアメリカ、ドイツ、タイ、ノルウェー、トルコの方々。アメリカ出身で英語への翻訳者のマーガレット満谷さんは東京在住なので東京から参加。逆に、作者の多和田さんはベルリン在住で、ベルリンからのオンライン参加だった。
翻訳者たちは、たっぷり時間をかけて原書と向き合っている。もっとも綿密な読書をする読者であると同時に、読んだ内容をアウトプットする使命を抱え、どんな表現を選ぶかで絶えず頭を悩ませている。そんな翻訳者たちが一冊の本をめぐって語り合うイベントは、聞いていて非常にわくわくしたし、たくさんの新しい発見もあって楽しかった。
「翻訳者の家」の増殖する図書室は、まるで生き物のようだ。そして、世界中の図書館の縮図でもある。もちろんデジタル化の波はここにも押し寄せている。参考文献は、ネット上のデータベースに置き換わりつつある。ただ、世界中の言語で印刷された書籍が一堂に集まっている、という点では、この図書室はユニークなものであり続けるだろう。そして、本のあとがきに記された翻訳者たちによる謝辞がまさにこの「翻訳者の家」に向けられている、という点でも、貴重な場所として残るだろう。
[書き手]
松永美穂(まつなが・みほ)
ドイツ文学者、翻訳家。東京大学文学部卒業。同大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。現在、早稲田大学文学学術院教授。ベルンハルト・シュリンク『朗読者』(新潮社)で第54回毎日出版文化賞特別賞を受賞。カトリーン・シェーラー『ヨハンナの電車のたび』(西村書店)で第20回日本絵本賞翻訳絵本賞を受賞。長年にわたって現代ドイツ文学の翻訳を多数手がけてきた。著書に『誤解でございます』(清流出版)など。2015年の創設時より日本翻訳大賞の選考委員を務める。