搾取される女性の歩みと抵抗、克明に
本書によれば、「君の仕事はこれからはたった一つ、ぼくを幸せにしてくれるということだけなのです。わかりますかアルマ、ぼくの言っている意味が?」と、グスタフ・マーラーは同業者のアルマ・シントラーに手紙を書き、結婚後の仕事を禁じた。前世紀初頭のことだ。しかし現在も、結婚前にこのような“通達”を男性から受ける女性はいるはずだ。こんな露骨な文面ではない。言葉に出さないかもしれない。見えにくい圧力ゆえにむしろ厄介である。トルストイ、マルクス、シューマン、ロダン、アインシュタイン……偉大な芸術家、学者、運動家の陰で、「ミューズ」の美名のもとに創造的、知的、社会的搾取を受けてきた女性たちの懸命な歩みと抵抗、そして多くは敗北を、本書は克明にあぶりだす。とくにこの二語に注意して読んでいただきたい。「ファム・ファタール(運命の女)」「吸血鬼」。
ファム・ファタールは男を惑わし滅ぼす魔性の存在として、文学作品を彩ってきた。サロメ、シェイクスピアのダークレディ、ロリータ……。昨年、「宿命の女」をテーマにしたモローの美術展で「エウロペの誘拐」を見たとき、ファム・ファタールとは、男性の都合でつくられた「幻想」ではと感じた。ギリシャ神話で王女に恋をした全能神が変身して彼女を拉致するという画題だが、恍惚の表情をした王女が「誘う女」として描かれている。女の方が誘惑し、男は抗しがたい「魔力」に落ちたえじきというわけだ。
父権社会で男性たちが自分の理解を超えた女性の力に出会ったとき、彼女らに貼ったレッテルは、聖母のごとき「聖性」と狂おしい「魔性」だ。その役割にあてはめれば、女性のもつリソースを利用しやすいからだ。
トルストイの妻となるソフィアは人気のピアニストで、小説も書いていた。結婚後は、夫の原稿を清書し校正するばかりか、編集者の役割をも担った。その間に十三人の子を産み、良き母業を求められて苦しんだ。夫は禁欲を謳(うた)うわりに、医者が止めても性欲を抑制できず、「それをもっぱら妻のせいにしていた」。いわく、あらゆる女性は「性愛しかめざしていない」「それにおぼれて」いると。自分はその性欲に囚われた被害者だと言わんばかりだ。大方、これが文学における「ファム・ファタール」の実情でないか。
ファム・ファタール“ごっこ”とその妄想が、激烈な毒性を発してしまった一例が、ゼルダ&スコット・フィッツジェラルドの夫婦関係だ。出会ったころの十八歳のゼルダは、率先してファム・ファタールを演じ、スコットは彼の小説から抜けだしてきたような女と電撃的に恋に落ちた。夫は「魔性」と同時に「詩神」の役割をゼルダに求め、ゼルダの方は「自分をまったくの無」にして芸術家に奉仕することを楽しんだ。ところが、やがてゼルダは自ら小説を書きだし、自分の日記の文章を無断で転用したスコットの『美しく呪われた人たち』を「盗作」と評す。夫は夫で、ゼルダの小説は「まるでぼくの小説のコピーです」と批判し、「ぼくたちの体験はすべてぼくのものだ」と宣言して、「米国史に残る」作家となっていくのである。
「ゼルダこそが吸血鬼だ」というスコットの言葉に留意したい。シュテファンは「吸血」という語を繰り返し使う。彫刻家のカミーユ・クローデルは、彼女からアイデアを盗もうとするロダンの「吸血鬼のような手から逃げ出し」、自分を守ろうとしたという。そもそも男性の「天才」は多くの場合、「他者からの吸血鬼的な搾取を前提とするもの」だと。
“同業”の夫婦の例はほかにもある。アインシュタインの妻ミレヴァ・マリチは、幼少時から数学にずば抜けた才能を示し、スイス最高の大学に進みながら、妊娠、結婚を機に、夫の助手となる。「体系づけて仕事のできる人間ではなかった」夫に代わって数学の問題を解き、彼のアイデアを数学的に転換したというが、ふたりの共同研究は夫の単著となった。クララ・シューマンは夫のローベルトから、演奏家としては称賛されつつ、作曲の仕事は決してさせてもらえなかった。演奏とは「解釈」だが、作曲とは「創作」であり、上位におかれるものだからだ。クララが「自分のなかに重心を持たないあやつり人形」と化したのは、当時支配的だった女性像と、父親の教育の影響もあるという。
夫婦のどちらに救われる価値があるか?と、スコットは問うた。どちらが血を吸い、どちらが与えることになるのか? T・S・エリオットの「自分より価値の高いものに自分を明け渡すこと。芸術家の進歩とは、絶え間なき自己犠牲である」という一文を思いだす。創造的、知的活動における精神的吸血(spiritual vampirism)という観点から考えたとき、エリオット夫妻において、真の吸血鬼はファム・ファタールで知られた妻ではなく、エリオットの方だった。ファム・ファタールは女性のリソースを活用するための隠れ蓑にすぎないのだ。
本書の今世紀版ともいえるケイト・ザンブレノの小説『ヒロインズ』との併読をお勧めする。