書評

『黒いイギリス人の歴史 忘れられた2000年』(講談社)

  • 2025/08/23
黒いイギリス人の歴史 忘れられた2000年 / 平田 雅博
黒いイギリス人の歴史 忘れられた2000年
  • 著者:平田 雅博
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(256ページ)
  • 発売日:2025-04-10
  • ISBN-10:4065393256
  • ISBN-13:978-4065393253
内容紹介:
「黒いイギリス人」とは、Black Britishの訳語である。「黒人のイギリス人」である彼らは、歴史に翻弄されながらも、「白いイギリス人と女王様の国」では忘れられた存在だった。「黒人史」と… もっと読む
「黒いイギリス人」とは、Black Britishの訳語である。「黒人のイギリス人」である彼らは、歴史に翻弄されながらも、「白いイギリス人と女王様の国」では忘れられた存在だった。
「黒人史」といえば真っ先に思い浮かぶのは「アメリカ黒人史」だが、アメリカ黒人史の多くは「アメリカの国内史」として語られるのに対し、イギリスの場合、その黒人史はブリテン島内だけでなく、海を越えて東西にわたる帝国に視野を広げて見る必要がある。ここに「イギリス黒人(在英黒人)」にとどまらない「黒いイギリス人」という語を用いる意図がある。
イギリス史には古くから黒人が姿を見せる。イングランドに最初の黒人女性が現れたのはローマ時代。16世紀チューダー朝の絵巻には王室付き黒人ラッパ手が描かれている。17世紀初頭、エリザベス女王は黒人追放令を発し、シェイクスピアは『オセロー』でムーア人の軍人を主人公にした。さらに、18世紀の新聞の「逃亡奴隷」の広告データベース分析や、アメリカ独立戦争で王党派についた「黒人ロイヤリスト」たちの命運、ロンドンの黒人貧民をアフリカに移送する「シエラレオネ植民計画」の顛末など、「黒いイギリス人」の歴史は「イギリス帝国」の光と影を映し出す。
長期的かつグローバルな視点で、その移動と混合の歴史をたどり、社会的マイノリティの共生の道をさぐっていく。

目次
はじめに:「白いイギリス人」と女王様の国で
序章 「黒いイギリス人」とは誰か
第1章 最初の来訪者たち:ローマ帝国期から近世まで
第2章 逃亡奴隷のプロファイル:18世紀前半
第3章 シエラレオネ計画の夢と失望:18世紀後半
第4章 奴隷解放と「黒人消滅」:19世紀
第5章 世界大戦下の黒人臣民と黒人米兵:20世紀前半
第6章 戦勝国の旧弊:20世紀後半
終章 「イギリスらしさ」を担うのは誰か
あとがき

米国とは異なる王国の逸話の数々

白人社会と異民族問題というと、誰もが西部劇で見慣れた、アメリカ西部におけるネイティヴ・アメリカン(かつては「インディアン」と言う言葉で一括(ひとくく)りされていた)と騎兵隊の戦いを思い出す。同時に、アメリカ南部を中心とした綿花産業に窘迫(きんぱく)化されていたアフリカに出自を持つ黒人奴隷のアメリカ社会における地位の変遷も、もう一つのお馴染(なじみ)の話題となる。公民権運動とも繋(つな)がる後者の問題は、リンカーン以来のアメリカの政治課題であったし、差別の問題が完全に片付いたとは言い切れない状況が残ってもいる。私たちの常識は、この課題は専らアメリカの問題である、と告げる。しかし。

評子の個人的な経験を記すことをお許しいただきたい。生物進化論の問題に取り組んでいたときに、例のイギリス国教会の重鎮、「口達者な<Soapy>サム」ことサミュエル・ウィルバーフォースが、ダーウィンに代わって論争の矢面に立ったハクスリたちに対して、サルを祖先にしていることを尋ねる、という方法でダーウィン説への強烈な反対を示したことを知った。ところが図らずも、その「サム」の父親が、イギリスにおける奴隷解放論の先頭に立っていたことを学んでびっくりした覚えがある。イギリスで黒人奴隷問題? そういえば、イタリアの話に託されてはいるが、また奴隷の話ではないが、シェイクスピアの『オセロー』は、黒人が主役ではないか(本書でもちゃんと『オセロー』に言及されている)。

それから、関心が広がり、イギリスにおける黒人問題が、王室を持つイギリスでは、アメリカと同じ形にならないのは当然としても、社会的に大きな課題であった(ある)ことについても、多少は勉強することになった。そのテーマを扱った本書の著者の前著『内なる帝国・内なる他者』(晃洋書房)は有難かった。

本書も、イギリスにおける黒人の歴史を、その源に遡(さかのぼ)って記述することから始まる。古代ローマ時代、属州ブリタニアには、もしかするとアングロ・サクソンと呼ばれる人々よりも前に、アフリカからの人々がいた可能性があるという。一事が万事。イギリスにおける黒人の問題は、アメリカの場合とは違ったパースペクティヴの中で展開する。

ところで、イギリスの植民地政策の先頭に立つ会社、と言えば誰もが先(ま)ずは一六〇〇年創設の東インド会社(EIC)を想起するが、ここでは創設はEICに六十年遅れた王立アフリカ会社(RAC)が主役のようだ。もう一つ、地域としては南米ベネズエラの北、カリブ海のバルバドス島が主役となる。この島は、海洋活動上イギリスの宿敵だったポルトガルが十六世紀に占有したが、余り関心は強くなく、十七世紀になってイギリスが、サトウキビ栽培の利点を目当てに、プランテーションの経営を始め、アフリカからの奴隷を労働力に砂糖産業の中心地になっていく。そこで富裕となったイギリス人が、富裕の証として本国に連れ帰った奴隷たちが、「黒いイギリス人」の出発点であった。言い換えれば、アメリカにおける奴隷は南部における綿花産業の労働力として使われたが、イギリスにおけるそれは、イギリス本土での労働力としての価値は、アメリカに比べて小さく、主として家内労働に使われたとされる。

その人数に関しても、著者は色々な史料を引きながら、従来やや誇張されてきたが、今以(もっ)て確認はできないものの、十七世紀末で一万人程度辺りが、ほぼ確かな数字ではないかという。また、ほぼその頃に起こった裁判の判決として、彼らの「自由」が一応法的には保証されたとも考えられる。例のダーウィン説を巡る悪役<Soapy Sam>の父親ウィリアムも、福音主義の信仰に基づき、奴隷解放運動の先頭に立ったという。

無論それで問題が解決したわけではない。例えば、そうした奴隷たちに関わるデータの一つに、「逃亡」した人々の探索のためにつくられた新聞広告がある。それらは、一人一人の性別、年齢などの基礎情報以外に、身体的特徴などが詳細に記されており、今から見ると、貴重な史料となっている。本書の第二章ではその詳細が明らかにされる。

もう一つは世紀末に始まる「シエラレオネ計画」と呼ばれるものだ。この計画の出発点には、著者が「ペテン師」と呼ぶ怪しげな人物の介入も含めて、様々な曲折はあったが、解放された奴隷の行き場として、西アフリカ南西部、大西洋に面するシエラレオネが定められた、一種の入植運動がそれであった。この地域の歴史も興味深く語られるが、一八三八年イギリスにおける奴隷制の終焉(しゅうえん)のエピソードも興味深い。ことはジャマイカの教会だが、ここでは墓穴が掘られ、「怪物(奴隷制)の埋葬式」が行われたという。

このように紹介していくと、イギリスの黒人を巡る史実には、実に興味をそそられる逸話の宝庫でもあることが判(わか)る。その面白さは、本書を実際に読んで頂くほかないが、すべてが綿密な歴史研究の成果であることを忘れるわけにはいかない。
黒いイギリス人の歴史 忘れられた2000年 / 平田 雅博
黒いイギリス人の歴史 忘れられた2000年
  • 著者:平田 雅博
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(256ページ)
  • 発売日:2025-04-10
  • ISBN-10:4065393256
  • ISBN-13:978-4065393253
内容紹介:
「黒いイギリス人」とは、Black Britishの訳語である。「黒人のイギリス人」である彼らは、歴史に翻弄されながらも、「白いイギリス人と女王様の国」では忘れられた存在だった。「黒人史」と… もっと読む
「黒いイギリス人」とは、Black Britishの訳語である。「黒人のイギリス人」である彼らは、歴史に翻弄されながらも、「白いイギリス人と女王様の国」では忘れられた存在だった。
「黒人史」といえば真っ先に思い浮かぶのは「アメリカ黒人史」だが、アメリカ黒人史の多くは「アメリカの国内史」として語られるのに対し、イギリスの場合、その黒人史はブリテン島内だけでなく、海を越えて東西にわたる帝国に視野を広げて見る必要がある。ここに「イギリス黒人(在英黒人)」にとどまらない「黒いイギリス人」という語を用いる意図がある。
イギリス史には古くから黒人が姿を見せる。イングランドに最初の黒人女性が現れたのはローマ時代。16世紀チューダー朝の絵巻には王室付き黒人ラッパ手が描かれている。17世紀初頭、エリザベス女王は黒人追放令を発し、シェイクスピアは『オセロー』でムーア人の軍人を主人公にした。さらに、18世紀の新聞の「逃亡奴隷」の広告データベース分析や、アメリカ独立戦争で王党派についた「黒人ロイヤリスト」たちの命運、ロンドンの黒人貧民をアフリカに移送する「シエラレオネ植民計画」の顛末など、「黒いイギリス人」の歴史は「イギリス帝国」の光と影を映し出す。
長期的かつグローバルな視点で、その移動と混合の歴史をたどり、社会的マイノリティの共生の道をさぐっていく。

目次
はじめに:「白いイギリス人」と女王様の国で
序章 「黒いイギリス人」とは誰か
第1章 最初の来訪者たち:ローマ帝国期から近世まで
第2章 逃亡奴隷のプロファイル:18世紀前半
第3章 シエラレオネ計画の夢と失望:18世紀後半
第4章 奴隷解放と「黒人消滅」:19世紀
第5章 世界大戦下の黒人臣民と黒人米兵:20世紀前半
第6章 戦勝国の旧弊:20世紀後半
終章 「イギリスらしさ」を担うのは誰か
あとがき

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2025年8月2日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
村上 陽一郎の書評/解説/選評
ページトップへ