書評

『家族の命運―イングランド中産階級の男と女 1780~1850―』(名古屋大学出版会)

  • 2021/03/09
家族の命運―イングランド中産階級の男と女 1780~1850― / L・ダヴィドフ,C・ホール
家族の命運―イングランド中産階級の男と女 1780~1850―
  • 著者:L・ダヴィドフ,C・ホール
  • 翻訳:山口 みどり,梅垣 千尋,長谷川 貴彦
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(520ページ)
  • 発売日:2019-08-02
  • ISBN-10:4815809550
  • ISBN-13:978-4815809553
内容紹介:
現在、没落を言われる「中間層」は、どのように形成されたのか。――経済・政治・社会が急激に変動する産業革命の中心国を舞台に、家族とジェンダーに注目し、そのイデオロギー・制度・実践を、さまざまな男女の生き様を通して、鮮やかに描き出した名著、待望の邦訳。

中産階級男性の生き方の内実を暴く
家族、子ども、ジェンダーに関する古典的研究として評価の高い書

「ひとかどの人物」となる、つまり富や権力や影響力を根拠に独立した個人として認められようとした中産階級の男性が、現実にはいかに立身出世を支える家族や女性による支援のネットワークのなかに組み込まれていたか、ということを示すこと。これが、プロローグに書かれた、本書の目的である。これは、今現在に置き換えてもほぼ通じる話ではないだろうか。それだけ、近代資本主義社会が、性別領域分離主義を前提とした家族を単位として強固にその根幹をつくりあげたことを、改めて確認できるだろう。

18世紀末から19世紀中葉にかけてのイングランドの家族、子ども、ジェンダーに関する古典的研究として評価の高い本書は、1987年の初版以降、数多くの後発の研究によって参照され、研究者(の卵)たちがこの書に学んだ。イギリス女性史の代表的研究者、本書の主翻訳者である山口みどり氏の研究がこの書から始まっていること(あとがきより)からも、この本の影響力の大きさがわかるだろう。私ごとだが、原書を手に苦戦していた学生が、翻訳書が出版されたことを知ったらさぞ驚くと思う。

中産階級男性の生き方の内実を暴く、という本書の挑戦は、同時期にムーブメントとなった女性史研究、家族史研究と少し趣の異なるものとして評価されてきたようだ。それは著者自身によっても語られている通りである(原著第二版に寄せてより)。従来、社会経済史の領域で論じられてきた経営や雇用関係等におけるいわゆる公人、つまり一見自律した個人である一家の稼ぎ手たる男性像を、女性が、道徳的優越性や感化力といった言葉で称えられながら果たした役割によって、いかに支えていたか、といったことが、彼ら、彼女らの経験として語られるのである。例えば、妻を亡くした途端に「家族の命運」が急激に落ち込んでしまった商店を営む男性の逸話(34頁)など、当時の男女の仕事や生活の具体が、家族の書簡、日記、伝記や年代記等の史料群から描き出される。個々の人物や、家族だけではない。都市バーミンガム、農村地域のエセックス、サフォークの地域に定位し、その経済的、宗教的、社会的輪郭を描きだすべく、各種団体の活動記録、また国勢調査による数量的枠組を加え、中産階級の分析が試みられている。

この研究の重要性は、そうした史料をもとに、近代資本主義の社会が徐々に出来上がっていく、職住分離のプロセスが描かれていることだろう。製造と販売が徐々に分離しつつ、住み込み店員や家族労働の形態から、職場とは別の住居に住むようになっていく過程である。男女の領域分離は、突然起きたことではない。各々の労働を支える経済構造、社会構造が徐々に変化していくなかで、その仕事が中産階級の男性の仕事として定義され、まさにその仕事を担う存在として、彼らが男性となっていく。そしてそれと対をなすように、中流階級の女性たちは、それら男性による有給の仕事から排除されていく様子が、具体的な生活に即して叙述されるのである。

その前提として、第一部では中産階級の女性と男性の行動指針や価値観を形成した信仰活動と、その根本にあった教義としての家庭重視イデオロギーがまず論じられる。キリスト教信仰は、神のもとでの平等、魂の平等がその宗教的共同体の核心にあったがゆえに、中産階級の男女に、貴族や貴婦人とは異なる独自のアイデンティティを与え、徐々にその教義としての家庭重視イデオロギーが普通の中産階級の男女の「常識」になっていく。そのような価値観をもとに、経済活動の実際と、それを支える構造が変化し、公的世界と私的活動領域が、それぞれ男女の領域として振り分けられ定着していく様相が活写されるのである。それは、家屋や家具、庭園だけではなく、身体、習癖、衣類、言語等すべてが「新しい鋳型」(247頁)に流し込まれていく過程である。

このように記述しつつも、溜息と共に、やるせなさ、切なさを感じてしまう自分がいる。近代社会は、平等という旗印のもと、かくのごとく、女性は(男性も)鋳型に流し込まれ、その型通りに生きることを強いられてきたのかと。しかし、果たしてそうなのだろうか。著者自身が、弁護士所有文書や、法廷記録などを利用しなかったことで、それらが含む不協和音を消去し、結果としてより調和的な歴史像を描くことになった可能性があると述べている。没落して歴史的記録から消え去ってしまった多くの家族よりも、成功をおさめた家族に焦点があてられている、というのである(プロローグ)。換言すれば、成功した家族でいるために、調和的であろうとした人々、あるいは、そのように記録を残したい人々の歴史、ということもできる。実践は、規範と構造に完全には埋め込まれることはなく、絶えず亀裂が生じる。また、性差は、その他、階級、国家、人種など、さまざまな非対称な差異やその境界線のひとつであり、それらと複雑に絡み合っている。こうした知見も含めて、原書第二版、第三版に寄せて、において、その後に展開した研究について、著者自身の言葉で語られていることは非常に貴重である。

本書が、今般邦訳されたことは、原著第三版が2019年に出版されたことと併せて、イングランドの歴史研究のみならず、近代社会を歴史化し、自分たちの生き方、働き方を支配しているものを見極めようとしている人々に、大きな贈物となったといえる。

[書き手]野々村淑子(九州大学人間環境学研究院教授)
家族の命運―イングランド中産階級の男と女 1780~1850― / L・ダヴィドフ,C・ホール
家族の命運―イングランド中産階級の男と女 1780~1850―
  • 著者:L・ダヴィドフ,C・ホール
  • 翻訳:山口 みどり,梅垣 千尋,長谷川 貴彦
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(520ページ)
  • 発売日:2019-08-02
  • ISBN-10:4815809550
  • ISBN-13:978-4815809553
内容紹介:
現在、没落を言われる「中間層」は、どのように形成されたのか。――経済・政治・社会が急激に変動する産業革命の中心国を舞台に、家族とジェンダーに注目し、そのイデオロギー・制度・実践を、さまざまな男女の生き様を通して、鮮やかに描き出した名著、待望の邦訳。

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初出メディア

図書新聞

図書新聞 2019年12月14日

週刊書評紙・図書新聞の創刊は1949年(昭和24年)。一貫して知のトレンドを練り続け、アヴァンギャルド・シーンを完全パック。「硬派書評紙(ゴリゴリ・レビュー)である。」をモットーに、人文社会科学系をはじめ、アート、エンターテインメントやサブカルチャーの情報も満載にお届けしております。2017年6月1日から発行元が武久出版株式会社となりました。

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