自著解説

『創発と物理―ミクロとマクロをつなぐ哲学―』(名古屋大学出版会)

  • 2025/01/30
創発と物理―ミクロとマクロをつなぐ哲学― / 森田 紘平
創発と物理―ミクロとマクロをつなぐ哲学―
  • 著者:森田 紘平
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(278ページ)
  • 発売日:2024-12-23
  • ISBN-10:481581175X
  • ISBN-13:978-4815811754
内容紹介:
物理学分野の個々の事例に基づくボトムアップ式議論と、従来の哲学分野におけるトップダウン式議論とを往還しつつ、「創発」の伝統的な捉え方を塗り替える。古典力学と量子力学との関係、熱力学と統計力学との関係をあらためて考え直す、気鋭による力作。
昨年末に出版された科学哲学の新刊『創発と物理』。SNSでの反響も大きく、早くも増刷となりました。今回は著者・森田紘平先生による書き下ろしの自著紹介を特別公開いたします。おそらく多くの方がまず疑問にもつであろう「創発とは何なのか?」というところからかみくだいて解説していただきました。

解像度を“下げる”からこそわかる? 創発とは何か

創発とは「部分を無視することであらわれる全体の持つ性質」であると本書では定義した。どういう意味だろうか。「木を見て森を見ず」という言葉があるように、部分だけに着目していては、本質を見失うということがある。しかし、創発は単に「森を見る」ことでわかる性質ではない。「木を見ず、森を見た」とき、初めて現れる性質なのである。例えば、点描で描かれているもの自体は小さな点に過ぎないが、全体として見ることで初めてその絵の印象を得ることができる。離散的な点の集合が、解像度を下げることで、連続的な線を、さらに人物や風景を描き出すことができるのである。

新印象派として知られる19世紀フランスの画家ジョルジュ・スーラは点描主義と評された。高階秀爾によれば、「スーラは光の反射が物体に及ぼす影響を科学的に明らかにしようとし、それを表現するタッチも一定の大きさの点を均等に配分するという『合理的』方法を考えた」(高階秀爾. 『カラー版 名画を見る眼Ⅱ』. 岩波書店. 2023年. 102頁)という。緻密な技巧によって描かれたスーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」は見たものに静謐な印象を与える。それは印象派のモネの作品と比べてみれば一目瞭然であろう。しかし、その技巧が見えるほど近づいて彼が描いた点だけに着目していては、この作品の特徴は掴めない。適切な「解像度」によって捉えることで、初めて絵の特徴がわかる。では、スーラが描いた絵が持つ静謐性は創発なのだろうか。しかし、ここでは「森を見た」だけであって「木」もまだ見ているのではないだろうか。点で描かれていることがわかるレベルで絵を見ても、やはり「静謐な印象」を得ることができそうである。では、「木を見ず、森を見る」ことができるような解像度の変え方が可能なのだろうか?


物理学を通して解像度を理解する

物理学では、解像度を変えるということを形式的な操作によって与えることができている。それがカダノフとウィルソンによるスケーリング則であり、これを基礎に持つくりこみ群という理論的な枠組みである。くりこみ群という手法は、対象の記述の解像度を下げるような操作を含んでいる。このような操作は粗視化と呼ばれるが、単に一回操作を行うのではなく、その操作を繰り返すことが特徴的である。この手続きによって、詳細の情報をある意味で畳み込み、くりこみ、まとめ上げることができる。つまり、「木」を見ないようにすることができるのである。

くりこみ群という手法を用いたことではじめて説明できるようになったのが、物理学における創発の代表的な例としても知られている臨界現象である。この現象について概要だけ述べておこう。例えば、水の温度と圧力を上げていくと、あるところで液体と気体の区別が意味をなさなくなる。その点を臨界点と呼び、臨界点付近で観察される現象が臨界現象である。水はもちろん多数の原子から構成されているが、くりこみ群を用いることで詳細が粗視化され、臨界現象の説明に成功した。つまり、「木を見ず森を見る」ことを可能にすることで、創発とされる臨界現象が説明されたのである。本書では、この手法の特徴を哲学的に検討することで創発の定義を与えた。

ただ、物理学は創発のような全体が持つ性質を認めるどころか、この世界の究極的な部分を探究する分野という側面もある。物理学について知識がない人であっても、素粒子という言葉は聞いたことがあるのではないだろうか。この世界のあらゆるものは、素粒子というミクロなものによって構成されていることを物理学は明らかにしてきた。物理学がこのような究極的な世界の構成要素の存在を示唆する一方で、創発とされるような現象が、さらにそれを理解する手法が提案されているということは興味深くはないだろうか。『創発と物理』という名を冠した本書で取り組んでいるのは、創発を定義することで、創発が現れる物理学がどのような世界像を与えるのかということである。つまり、創発という観点から、物理学を通して、この世界がどういう世界なのかを明らかにしているのである。

創発という概念は様々な文脈で現れる。物理学に限らず、昨今注目を集める人工知能の分野にもあらわれることがある。あるいは、スーラの作品のような芸術作品とも紐づけることもできる。本書は、物理学を事例としているが、与えられる創発の定義や世界像に関する議論は物理学だけに当てはまるものではない。むしろ、幅広い分野へとつなげることができるように心がけた。その意味で、本書は「創発」について考える基準点を与えるものである。ここまで読んで本書が、あるいは創発という概念が気になった人は、その基準点から自身が関心を持つ対象へと光を当ててみてほしい。

[書き手]森田紘平(神戸大学大学院システム情報学研究科特命助教、博士(文学))
創発と物理―ミクロとマクロをつなぐ哲学― / 森田 紘平
創発と物理―ミクロとマクロをつなぐ哲学―
  • 著者:森田 紘平
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(278ページ)
  • 発売日:2024-12-23
  • ISBN-10:481581175X
  • ISBN-13:978-4815811754
内容紹介:
物理学分野の個々の事例に基づくボトムアップ式議論と、従来の哲学分野におけるトップダウン式議論とを往還しつつ、「創発」の伝統的な捉え方を塗り替える。古典力学と量子力学との関係、熱力学と統計力学との関係をあらためて考え直す、気鋭による力作。

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ALL REVIEWS 2025年1月30日

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