書評
『茨木のり子全日記 Ⅰ 1949-1952/1955-1962』(katsura books)
「ピーナツを以てサパーと」生活と証言
詩人・茨木のり子が生前に書き残した「全日記」の第1巻で、これから順に3巻まで出版されるという。1949年、医師の三浦安信と結婚した4日後に書き始められ、1975年に最愛の夫が逝去した後は空白が目立つようになり、その2年後を最後に閉じられたそうだ。
茨木のり子は79歳まで生きたし、ベストセラーになった詩集『倚(よ)りかからず』を出したのも73歳のときだが、日記の最も古い記述では、彼女は、夫の帰宅の遅さに機嫌を損ねる、23歳の新婚の妻である。
夫婦の日常と、夫への思いが隠すこともなく綴(つづ)られる日記は、彼女が没後に出版されることを望んだ最後の詩集『歳月』を思わせもする。
しかし、この日記から見えてくるのは、もう少し些末(さまつ)で散文的な、三浦家の台所事情、些細な夫婦喧嘩(げんか)と仲直り、訪ねて来る友人、読んだものや見た映画といった日常そのものだ。そこに鋭い批評や、そのまま詩ではと思わせられる一節や、書けないときの苦悩、不愉快な書評への爆発的な怒りなどが加わる。
歯に衣(きぬ)着せぬ批評で、とてもおもしろかったのは、幸田露伴への怒り。幸田文の『こんなこと』という回想随筆の中の露伴に、詩人は怒り出す。
『こんなこと』に於(お)ける、露伴が庭の雑草をきらって草取り人夫にとるはしから地面に塩をなすりつけさせたというエピソード。露伴を知る上には、又(また)読みながすにはおもしろい話にしても、違った次元から見なおすとフンゼンたるものを感じる。そのようにしてなめるようにきれいにされた庭が何であろう?(1951・12・10)
そうだ!と思わず合いの手を入れたくなる。まったく。何であろう?
万事、この式に、在来の日本文化はよそゆきだ。言いかえれば男性ののさばってきた文化だ。/『こんなこと』に於ける露伴の娘に対する躾(しつけ)の問題にしても、掃除一つ、料理一つ、どれとてものびのびとしたものを与えない躾かただ。父と娘がぎくしゃくと腹芸で対している図はもっともらしいが、別の観点からすれば笑止といえる。これを一種の美談的なものとして、すっと受け入れられる「日本人」というものに問題がある。
ケチで有名だった永井荷風逝去の報に、「お金を生きて使っていないことがひとごとながら腹だたしい」(1959・5・13)と感じる詩人は、夫の給料をどう使うか、たまに入ってくる稿料でなにを買うか、日々考え抜いている。日記の記述の多くが金銭に関することだ。
つましい家庭経済の中でやりくりし、弟の英一に何か買ってやったり、給料日には奮発してステーキを焼いたり、がんばって東京・東伏見に土地を買い、念願の家を建てたりする。
東伏見の件は、日を追ってその経緯が綴(つづ)られるので、ちゃんと家は建つのか、ガスは来るのか、引っ越しできるのかと、書き手とともに一喜一憂しながら読み進んだ。
毎日の食事も、食べたものを箇条書きしているだけのメモであるのが、逆に読者には楽しい。給料日前は質素になる食卓の、医師の夫が当直で不在の日の「夜、当直ナレバ ピーナツを以(もっ)てサパーとなす」(1955・3・28)といった記述にペーソスを感じる。
時代を象徴するのは、「天火」や「電気洗濯機」の登場だろう。少しずつ生活が豊かになっていく、「戦後」のよい面を見る思いがする。「天火」で焼いただけのじゃがいもは、いかにもおいしそうである。
この間に、雑誌『櫂』を立ち上げ、詩作をし、生活のための書評書きをこなし、ラジオドラマの脚本なども書いている。悩みつつ書き、鋭い自己批評もさしはさみながら厳しく推敲(すいこう)し、評価にも思い悩む。悩むというより、怒るし、泣く。悪評を聞いて「猛禽(もうきん)ほどの涙を流す。」(1957・9・13)
詩作への姿勢は、「埴輪(はにわ)」への度重なる言及からも受け取れる。「『埴輪』は、詩人などというワクから飛び出し、もっと積極的な他への働きかけを持っていると自負するのだが、詩などよんだことのない人たちに見てもらいたいし。そういうひろがりこそ私の欲するものなのだ。」(1955・1・24)「痛快な風刺がかけるといいのだけれど。ふたたびこの世界を生きはじめなければならない。」(同月・22)
谷川俊太郎と岸田衿子が結婚して東京・谷中に住んでいたころ。詩人の交友関係を垣間見るのもおもしろい。金子光晴、田村隆一も登場する。
書評の類も鋭い。わたしたちはもしかしたら詩人にならって『萬葉の時代』(北山茂夫著 岩波新書 1954年刊)を「もう一度読みかえす。」べきかもしれない。「天平時代の政治的背景、呆(あき)れるほど乱脈なもの、血で血を洗う皇位争奪戦、なにが万世一系かとおもうほどだ。帰化人の血、藤原氏の血、入り乱れるわけだ。」(1962・5・10)
今年は茨木のり子生誕100年にあたる。血のメーデー、サンフランシスコ講和条約、砂川闘争、はじめて参加した安保闘争などにも言及があり、時代の証言としても貴重な日記の、時宜を得た刊行である。
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