情動を鎮め、残像を留める叔父さん
叔(伯)父さんは物語のなかで独特の立ち位置にいる。英語のavuncularという形容詞は「親戚のおじさんのように優しい」という意味だ。またuncleはスラングで「質屋」を指す。(親に言えないような)困った事態でそっと助けてくれるマジカルアンクル。“おじさん”は、自由人で、センスが良く、独身であることも多く、物語中で数々の名脇役を演じてきた。しかし本作の小六の「亜美」の叔父「私」は、語り手にして記録者である“書く主体”だ。
サッカー少女の亜美は、感染症拡大による休校中に、サッカーの得意な小説家の叔父さんと、我孫子から、鹿島アントラーズの本拠地に向けて旅に出る。感染リスクを避けて、利根川沿いの徒歩旅行だ。親や学校の監視の目を離れて、なんというパラダイス。叔父さんは叔父さんらしく、親が規制したオムライスを好きに食べさせる。「持つべきものはこだわりのない叔父さんだ」と亜美は笑う。
道中、ふたりは各々の練習をこなす。「私」は「人気のない風景」の描写を淡々と続け、傍らで亜美はリフティング五百回を目指す。そんな亜美たちの前に、同じく徒歩で鹿島に向かう女性が現れる。彼女の存在は、叔父と姪(十二歳)の旅を読者に受け入れやすくするだろう(なにせ、中年文学者と幼い恋人が旅をするナボコフ『ロリータ』の構図と同じなのだ)。
写実の神・志賀直哉ゆかりの地から始まるこの旅は、文豪の足跡を追う日本文学散歩の様相も呈する。「私」はスダジイやヘラオオバコなどの平凡な草木を丹念に描写し、ヒヨドリ、キジ、カワウなどの動きを剽軽に、鮮やかに活写する。この現在形の風景文が、旅の様子の合間に挿入されていく。
風景文の最後に、唐突に「84」などの数字が出てくる。実はこれは亜美のリフティングの回数を、後から聞いて記録したものなのだ。「書く」ということの時間的遡行、あるいは情報の遅延の不可避性をほのめかし、できごと、会話、風景を、淡々と記述しているように見える本作も、作品として「編集」されていることを示す印である。
そう、回想録というのは「現在」をはらむ。亜美の「小学校最後の試合がなくなるのは気の毒だ」という「私」の感情描写は、旅の中で感じたものを遡って甦らせたものかもしれない。だが、「『卒業の姪と来てゐる堤かな』という気分でもなかった」のくだりは、回顧時に、芝不器男の句を意識してひねったものではないか。旅の途上の「私」と、旅の後の「私」が同居している。愛しい者を顧みる「私」の目を通すと、亜美のいる情景は雨が降っても明度が高く、少し輪郭がにじんで見える。
雲間から光が射して水面が白く輝く場面がある。そこで「私」の目に焼きついた残像は、しばしどこを見ても消えない。あるいは、終盤、小島信夫の「タンボの中に鷺が二、三羽立っているのを見かけ」、こみあげてくる感動を静めて「忍耐」するという『鬼』の一節が引かれる。「私」は「本当に永らく自分を救い続けるのは、このような、迂闊な感動を内から律するような忍耐だと」記す。
物語の過去形の罪深い機能について思いめぐらした。旅の後、「私」はかけがえのない残像を留めたい衝動からこの作品を書いたのだろう。情動を鎮めながら。再読で読みが圧倒的に深まる傑作だ。