書評
『にぎやかな湾に背負われた船』(朝日新聞出版)
何げない日常の皮をめくると
お父さんはぐうたらなお巡りさん。転任早々、交番が土地の飲んべえの集会所になってしまう。事件といえばせいぜいが選挙違反。いざとなれば両派からヒマ人が二人ずつ町の警察署に出頭すればよい。ヒマ人の四人組は情報通でいわば土地の語り部だ。そこに適当に養殖業や土建屋のボスもいて、あとは眠たくなるような日々がのんびり経過していく。「浦」という地名だ。海が湾曲して陸地に入り組んだ場所。同時に裏や心と同じく、外からは見えない隠れたところ。この浦も表面は貝みたいにつるつるした日常に覆われているが、中は腐って毒にまみれていはしないか。やがて異形な者たちが現れる。耳や手が奇形の退職教師。アル中のミツグアザムイ。全身に火傷のあるトシコ婆(ばあ)。いずれも土地の人びとにうとんじられており、彼らの過去が知られるにつれ、浦の過去も明らかになってくる。
大分県の県南あたりだろうか。中国語や朝鮮語のラジオ放送がよく入るところだという。歴史的にも大陸・半島と往来があり、遠い昔から密貿易や密出入国行為があった。ぐうたらお巡りさんのお父さんについて浦にやってきた中学生の美希ちゃんは、生理がないのをもどかしがりながら、しだいに浦の裏事情に開眼していく。大陸での化学兵器作戦や朝鮮人迫害にこの土地が無関係ではなかったのではないか。とこうするうちに浦の港にある日突然、一艘の船が姿を現す。それも戦争中ここから脱走朝鮮人を乗せて逃亡した船だ。
歴史は裏を返す。船は出て行き、帰ってくる。浦=裏がめくれた。すべてを覆っていた貝の外殻がめくれ、腐臭を発する死体の中身の毒が流れ出す。同時に美希ちゃんのもどかしくも止まっていた生理の血が股をつたって流れ出た。これで美希ちゃんは次代の語り部としてのイニシエーション、儀式を通過したのだ。お母さんは相変わらずいろはガルタの古いジョークで物語をまとめていて、明日も浦の日常はめでたくも無事に過ぎていくだろうけど、美希ちゃんはなにくわぬ顔をしてもう一皮むけてしまった。
朝日新聞 2002年07月21日
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