書評
『獅子渡り鼻』(講談社)
神話的自然と心に降る慈雨
小野正嗣はこれまで、どこか土俗的な感じのする土地と、そこに暮らす素朴だが一風変わった人々を描いてきた。その一方で、人種や国籍にとらわれない、いわば「世界文学」と呼ぶしかない小説を書いてきた。2つの方向性は様々な小説の中で追求されてきた。
前回の芥川賞候補となった本作では、小野の2つの試みが統合されようとしている(ALLREVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2013年)。主人公は、10歳の少年「尊(たける)」。心身の不自由な、2歳年上の兄と、育児放棄している、男にだらしない母親との暮らしを離れ、母親の親戚の家に預けられている。母親が嫌った故郷は、少年の心に慈雨のような豊かさを降り注ぐのだった。
長い小説ではない。一人の少年の一夏の経験である。だが、母親の苛烈な記憶と、入り江と山に囲まれた神話的な自然が交錯する中で、少年の心情はたっぷりと描かれている。
この数年、同じ地名のもとに小野が描こうとしているのは、神話的な土地の地勢図と、そこで暮らす人々の群衆劇ではないかと思う。本作は、その中心をなす話の一つと読んだ。小野の小説世界は立ち上がりつつある。
ALL REVIEWSをフォローする







































