書評
『東京に暮す―1928~1936』(岩波書店)
これ、名著です。それもとびきり愉快でお洒落な名著です。「さすが岩波文庫、お目が高い」と言いたくなるような。
タイトル通りイギリスの女の人による日本滞在記。著者のキャサリン・サンソムは昭和のはじめに外交官夫人として来日し、約十年間、日本で生活した。著者にとっては四〇代半ばから五〇代半ばの頃にあたる。巻頭に「本書は『東京での生活はいったいどのようなものですか』という友人や親戚の問いに答えるつもりで書いたものです」とある。
外交官夫人として社交もそうとう忙しかっただろうに、驚くほど日本の庶民的生活の中に深く入り込み、よく観察し、分析し、そして楽しんでいる。満員の電車やバスにも乗り慣れているし、田舎の盆踊りの輪にも気さくに加わるし、山小屋やテントや肥溜めの臭気漂う宿に泊まって日本アルプスを踏破までしている。特に読みごたえがあるのはデパート探訪記。女の人――それもセンスのいい女の人ならではのコマカイ観察ぶりに唸る。
そんなナマの具体的な見聞の中から「日本は冗談がこのように素直に喜ばれる素晴らしい国です」「日本人は美を愛でる心を持って生まれたようです」「日本人の作法は大変立派であり、私が知っている他のどの国民の作法よりもはるかに優雅です」……とうれしいことを言ってくれているのだ。いくら戦前の日本でもホメすぎじゃないか!?っていうくらい。それでも、日本人のウィークポイントにもきちんと目が届いているので、やっぱり本心からそう感じたことなのだろうと思う。
茶目っ気のある文章で当時の日本人の姿が活写されている。中でも私がたまらなく好きなのは、著者が雇った庭師の話だ。「痩せて頬がこけ、高齢のために背中が曲がって」いる庭師を、著者は「中世の雰囲気を持って」いて、「チョーサーの『カンタベリー物語』から飛び出てきた人物に思える」という理由からひそかに「チョーサー」と名付ける。
この「チョーサー」なる老人がいいんですよね、著者と親しかったというマージョリー西脇(詩人・西脇順三郎夫人)のさし絵ともあいまって、何だかとても懐かしく、慕わしい日本人像で。父母や祖父母たちの時代を思い、つい、涙してしまう。
実を言うと、私はこの本を読みながら、たびたび心の中で涙した。茶目っ気のある文章を大いに愉しみながらも、悲しみに似たものにも襲われるのだった。著者が愛した日本、そして日本人は、七〇年後の今でも目をこらしさえすれば見つけることができるのだろうか? それとも、もはや幻になってしまったのだろうか?
この岩波文庫版『東京に暮す』が出版されたのは一九九四年。奥付を見ると、最も新しい版は、すでに二一刷。静かだけれど息の長いベストセラーになっているのだった。
【この書評が収録されている書籍】
タイトル通りイギリスの女の人による日本滞在記。著者のキャサリン・サンソムは昭和のはじめに外交官夫人として来日し、約十年間、日本で生活した。著者にとっては四〇代半ばから五〇代半ばの頃にあたる。巻頭に「本書は『東京での生活はいったいどのようなものですか』という友人や親戚の問いに答えるつもりで書いたものです」とある。
外交官夫人として社交もそうとう忙しかっただろうに、驚くほど日本の庶民的生活の中に深く入り込み、よく観察し、分析し、そして楽しんでいる。満員の電車やバスにも乗り慣れているし、田舎の盆踊りの輪にも気さくに加わるし、山小屋やテントや肥溜めの臭気漂う宿に泊まって日本アルプスを踏破までしている。特に読みごたえがあるのはデパート探訪記。女の人――それもセンスのいい女の人ならではのコマカイ観察ぶりに唸る。
そんなナマの具体的な見聞の中から「日本は冗談がこのように素直に喜ばれる素晴らしい国です」「日本人は美を愛でる心を持って生まれたようです」「日本人の作法は大変立派であり、私が知っている他のどの国民の作法よりもはるかに優雅です」……とうれしいことを言ってくれているのだ。いくら戦前の日本でもホメすぎじゃないか!?っていうくらい。それでも、日本人のウィークポイントにもきちんと目が届いているので、やっぱり本心からそう感じたことなのだろうと思う。
茶目っ気のある文章で当時の日本人の姿が活写されている。中でも私がたまらなく好きなのは、著者が雇った庭師の話だ。「痩せて頬がこけ、高齢のために背中が曲がって」いる庭師を、著者は「中世の雰囲気を持って」いて、「チョーサーの『カンタベリー物語』から飛び出てきた人物に思える」という理由からひそかに「チョーサー」と名付ける。
この「チョーサー」なる老人がいいんですよね、著者と親しかったというマージョリー西脇(詩人・西脇順三郎夫人)のさし絵ともあいまって、何だかとても懐かしく、慕わしい日本人像で。父母や祖父母たちの時代を思い、つい、涙してしまう。
実を言うと、私はこの本を読みながら、たびたび心の中で涙した。茶目っ気のある文章を大いに愉しみながらも、悲しみに似たものにも襲われるのだった。著者が愛した日本、そして日本人は、七〇年後の今でも目をこらしさえすれば見つけることができるのだろうか? それとも、もはや幻になってしまったのだろうか?
この岩波文庫版『東京に暮す』が出版されたのは一九九四年。奥付を見ると、最も新しい版は、すでに二一刷。静かだけれど息の長いベストセラーになっているのだった。
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