解説

『マドゥモァゼル・ルウルウ』(河出書房新社)

  • 2023/09/11
マドゥモァゼル・ルウルウ / ジィップ
マドゥモァゼル・ルウルウ
  • 著者:ジィップ
  • 翻訳:森 茉莉
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(253ページ)
  • 発売日:2009-12-25
  • ISBN-10:4309205321
  • ISBN-13:978-4309205328
内容紹介:
天衣無縫、そして奔放。森茉莉が愛してやまなかった14歳の貴族の少女、おてんばルウルウの大冒険。
私が長年宝物のように思ってきた『マドゥモァゼル・ルウルウ』が、ついに新しい装いで出版されることになった。

十九世紀中頃にフランスで生まれたジィップから二十世紀初頭に日本で生まれた森茉莉に手渡されたものが、二十一世紀の今また一冊の本となって受け継がれてゆく―—。『マドゥモァゼル・ルウルウ』という、この読みものが持つ生命力の不思議な強さを思わずにはいられない。

森茉莉は神田の古書店で『マドゥモァゼル・ルウルウ』の原書と出会い、著者のジィップに手紙で細部についての問い合わせをしたりしながら翻訳し、自費出版した。一九三三年、森茉莉三十歳の時のことだった。

森茉莉は二度目の結婚生活もうまくゆかず、実家に戻り、フランス文学の翻訳をポツリポツリと始めた頃だったから、有名な与謝野晶子の推薦文つきとはいえ、あくまで「森鷗外先生の第一嬢」の余技といった受けとめられかただったろう。自費出版ということもあって、読者はそれほど多くはなかっただろう。

それが、いかなるいきさつからか、四十年後の一九七三年、薔薇十字社からアッと息を呑むオシャレな装丁で『マドゥモァゼル・ルウルウ』が出版されたのだった。

その数年前から森茉莉ファンとなっていた私は、喜び勇んで買った。そしてたちまち、森茉莉がジィップに送った手紙とまったく同じ気持になった。「私はルウルウを愛しています。私にはルウルウが見えます。ルウルウは今どこにいるのですか? あまり貴君(あなた)の表現が素晴しいので私にはこの戯曲には書いてない場面のルウルウが見えます」。

以来三十五年あまり。薔薇十字社版『マドゥモァゼル・ルウルウ』は、私の本棚の中でも一番いい本棚の一番いい所に置かれている。たいせつにしてきたつもりだが、歳月の中でオシャレな装丁もさすがに古色を帯びてきた。このまま「幻の本」になってしまったら勿体ないなあ、今の若い人たちにもぜひぜひ読んでもらいたいなあと思っていた(つい一言多くなってしまうけれど、『ルウルウ』を読めば、今の女の子たちだって、この世にはびこるメソメソベタベタ系の俗悪少女趣味に惑わされることもなくなるだろう)。その思いは通じて、今回こんなふうに河出書房新社版として蘇ることになったのだ。

『ルウルウ』の舞台はフランスの裕福な家庭。早ばやと描写されるルウルウの人物像。好きにならずにいられない。特に「黄色のはいった緑色の眼。大きすぎる口」というところが。「上から下まですぽっとした、竹筒(たけづ)っぽのような、ミルトゥ色を帯びた緑色の着物を着ている」というところも。いかにも生気あふれるファニーフェイスの女の子。

時代背景はどうなんだろう。いつ頃のフランスなんだろう。

森茉莉の解説によると、ジィップが『ルウルウ』を書いたのは一八八八年で、当人はすでに七十八、九歳になっていたというのだが、これは森茉莉の勘違いだろう。ジィップは一八四九年生まれなので、当時三十九歳ということになる。ルウルウがヒイキにしているムシュ・クレマンソォ(“虎”の仇名があったフランスの政治家。一九〇六年、首相に)のデモ行進を見に行く話(IV章)が出てくることから察するに、ジィップは一八八〇年代の現代劇としてこの『ルウルウ』を書いたのだろう。

ルウルウは「まるで男の子(ギャルソン)のように育てられたんだものあたし! ……あたしは泳ぐし、釣りをするし、馬に乗るし! ……プパがとても男の子(ギャルソン)がないってのを残念がったんだもの」と語っている。世の中のことなら何でも、何だかよくわからないまま、ひとことコメントせずにはいられない。バカな男よりは動物のほうが好きで、トックというチョコレェト色の猟犬の片耳をちぎった仇を討とうと、猟銃で狐を追ったりもする。そんなところは少女というより少年なのだけれど、時どき女ならではの超論理も発揮する。「男ってものはみんなまちがっていて、悪(わる)で、自惚屋で……」とさんざん非難しながら、ルウルウに気のあるノッポ青年ムシュ・ドルステェルが、そうでない男もいると言うと、「そんな人は(じっと考えつつ)あたし好きじゃないわ!」と言うのだ。ひそかに憧れているムシュ・モントルイユに会う時は子供っぽいタブリエは脱ぎ、てのひらへの接吻を受けるために手はよく洗っておくし、ね。

そんな少年的成分と少女的成分が混然としたルウルウに、作者ジィップは仮装の舞踏会の場面でみごとにぴったりの衣装を着せている(VIII章)。

ルウルウは現代のノルマンドの七面鳥の番人に扮している。それもそっくりそのままに写実に。襟の広く開いた膨らんだ上衣。袖は太糸のざらざらした白の絹。肩の周囲は襞がとってある。上のほうへいってよりの戻っている巻いた袖。白ペキン(支那の繻子)の大変短いジュプ(スカァト)。空色の絹の前掛け。これは大きなよだれ掛けのように全体に襞がとってあって、お腹の辺にポケットがあり、後ろでリボンで結んであり、そこでぎゆっと締めるので上下(うえした)が膨らむようになっている。後ろの膨れたところに林檎や林檎の花の大きな束がついている。白い絹を被せた木綿のボンネ。べつに技巧もなくただふわっと耳のところまで深く被るようになっている。ただ額のところと耳のところに毛をのぞかせてある。左側に林檎と林檎の花の束がつけてある。空色の絹の靴下と木靴。手に長い鞭を持ち、藁を詰めて造った素晴しく大きな七面鳥を小脇にかかえている。

と、こう書き写しているだけでも楽しい。フリルひらひらのお姫様風の服より、ずうっと小粋で面白くオシャレじゃないか。ジィップにとっても森茉莉にとっても、このくだりは特に楽しかったところだろう。最初にルウルウが登場する場面の「上から下まですぽっとした、竹筒っぽのような」服にしても、この仮装にしても、ジィップは中性的でシンプルで、でも固苦しくない服が好きなのがわかる。ジィップが今の世に生きていたら、ルウルウにどんな服を着せるだろう。まちがっても髪をスプレーやワックスで技巧的に盛りあげたりさせないだろうし、十センチ以上になるようなハイヒールは履かせないだろう。「男の子のように(コム・デ・ギャルソン)」の服など好きかもしれない。

さて。『マドゥモァゼル・ルウルウ』は戯曲として書かれている。爆笑を狙ったような喜劇ではない。クスクス笑いを誘い、楽しく贅沢な気分にしてくれる軽喜劇だ。いわゆるブールヴァール演劇の系列にある戯曲だと思う。十九世紀半ばの頃から、パリのグラン・ブールヴァール周辺の劇場では品のいい軽喜劇が中心に上演されていたという。恋人同士が、あるいは夫婦がレストランでちょっと贅沢な食事を楽しみ、愉快な芝居を観る。人間とは? 生とは? 死とは? とシリアスに考え込ませてくれる演劇ではなく、上等の気晴らしを提供しようというような演劇だ。

壮大なテーマにも、波瀾万丈のストーリーにも無縁なので、人物像やセリフのおかしみでもたせなくてはならない。コケおどしではなく、人生をある程度知った大人たち(それも比較的豊かで都会に生きる人たち)をほほえませるだけの芸が必要なのだ。

そういう意味で、ルウルウばかりではなく、プパやママンの人物描写も巧い。特にママンを「善良で、寛大で、自分の一度もしたことのないことを人がやっているのを見ても怒らない。ひととおり親切で、なにも面白がらない。少しぼんやりである」と描写するところ、こういう女の人、確かにいる、何不自由なく生きてきた、おっとりとした人の中に。「なにも面白がらない」というひとことが利いている。辛辣な観察眼。ただし、その辛辣さには愛がある。たぶん……辛辣さと愛とが結びついたものを、私たちはユーモアと呼んでいるのではないか。

森茉莉はよく「耽美的な作家」と評される。事実そうには違いないのだけれど、同時にユーモアのセンスも抜群の人であった。この事実は『贅沢貧乏』をはじめ、エッセーに歴然としている。「耽美」と「ユーモア」が平然と共存してしまうのが森茉莉の凄いところだ(そういう意味で私は、森茉莉の小説では『ボッチチェリの扉』が一番好きです。健やかな男女の恋の気分がよく出ているばかりではなく、銀髪の老女・絵美矢の描写がみごとにおかしいので……。はい、話がそれました)。

そのほかモントルイユ、エメリヨン、ドルスチェルなどガス燈と馬車の時代の紳士諸君も、読んでいるうちに今の世にいる男たちのように感じられてくる。外側のファッションやライフスタイルは変わっても、「人間の型」は案外変わらないもんなんだなと思えてくる。ジィップの視線はそこまで届いている。

さて最後に。余談になりますが、この河出書房新社版『マドゥモァゼル・ルウルウ』の原本(もと)となった薔薇十字社版について、少し書き記しておきたい。

黄色の地に影絵のように黒く木陰が描かれたケース入りで、中身の本はフランス装(表紙の紙を折り込んであるもの)。白地に黒の影絵風の葉と枝に、白い花とピンクのハートが散っている。ページを繰ると、すべてのページに淡いラベンダー色でケースの木陰が印刷されていて、その上に文章が印刷されている。そう、便箋か何かのように。

装丁を担当したのは、今は亡き堀内誠一さん(一九三二~一九八七年)。雑誌『アンアン』『オリーブ』『ポパイ』『ブルータス』などのタイトルのデザインは、この人が手がけたものだ。雑誌のエディトリアル・デザインばかりではなく絵本のデザインでも活躍。今年(’09年)の夏には『堀内誠一 旅と絵本とデザインと』と題する盛大な回顧展も開催された。当然のごとく、薔薇十字社版『マドゥモァゼル・ルウルウ』も展示されていた。

版元の薔薇十字社は’60年代末から’70年代の出版文化史を鮮かに彩るユニークな出版社だった。澁澤龍彦が翻訳したジャン・コクトオやロラン・トポールなどの本を堀内誠一の装丁で次々と出版していた。澁澤龍彦と堀内誠一はたいへん親しかったのだ。私にとっては尾崎翠の『アップルパイの午後』を早く読みたくて、一番町にあった薔薇十字社まで買いに行った―—という思い出のある出版社でもある。

今の若い人たちには、たぶん、’70年代の出版界の熱気は想像もつかないんじゃないだろうか。この河出書房新社版の装画は、当時そんな熱気のただなかにあった宇野亜喜良さんによるもの(新しく描きおろしたもの)。

『マドゥモァゼル・ルウルウ』がフランスで出版されてから約百二十年。ルウルウの心、そして本への情熱は、百二十年を貫く一筋の流れとなって未来へつながってゆく。

(『マドゥモァゼル・ルウルウ』巻末解説)

【薔薇十字社版】
マドゥモァゼル・ルウルウ / ジィップ
マドゥモァゼル・ルウルウ
  • 著者:ジィップ
  • 出版社:薔薇十字社
  • 装丁:-(225ページ)

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【この解説が収録されている書籍】
アメーバのように。私の本棚  / 中野 翠
アメーバのように。私の本棚
  • 著者:中野 翠
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(525ページ)
  • 発売日:2010-03-12
  • ISBN-10:4480426906
  • ISBN-13:978-4480426901
内容紹介:
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マドゥモァゼル・ルウルウ / ジィップ
マドゥモァゼル・ルウルウ
  • 著者:ジィップ
  • 翻訳:森 茉莉
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(253ページ)
  • 発売日:2009-12-25
  • ISBN-10:4309205321
  • ISBN-13:978-4309205328
内容紹介:
天衣無縫、そして奔放。森茉莉が愛してやまなかった14歳の貴族の少女、おてんばルウルウの大冒険。

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