書評

『梵雲庵雑話』(岩波書店)

  • 2023/06/21
梵雲庵雑話 / 淡島 寒月
梵雲庵雑話
  • 著者:淡島 寒月
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(468ページ)
  • 発売日:1999-08-18
  • ISBN-10:4003115910
  • ISBN-13:978-4003115916
内容紹介:
西鶴再評価の契機をつくったことで知られる明治の文人淡島寒月(1859-1926)の文集.幕末維新期の江戸・東京の回想,仮名垣魯文・高橋由一・ワーグマン・下岡蓮杖らの人物スケッチ,玩具の収集のことなど,名利を求めず趣味に生きたといわれる寒月の全貌を伝えてくれる1冊.梵雲庵は寒月の号である.(解説=延広真治)

淡島寒月『梵雲菴雑話』

富の偏在も悪くない。その名も宝受郎(とみお)、淡島寒月という愉快に芸術的な人物を生み出してしまうのだから。

私が寒月の名を知ったのは、たった四年前のことだ。いかなる風の吹き回しか明治文学に興味を持ち出し、幸田露伴、斎藤緑雨、内田魯庵といった人たちに対して、今すぐそこにいる人であるかのような狎(な)れ狎れしい気持を抱き始めていた頃のことだ。

古書マニアの友人から寒月の話を聞き、そのときは簡単なプロフィールだけだったのだが、いきなり頭の中でピンポンピンポンとチャイムが鳴ったような気持になった。何だかよくわからないが、ひとことで言うと「それだわ、それ」と思った。恥ずかし気もなくずんずん書くが、私の理想、私の夢、私の憧れは「それだわ」と思ったのだ。「そんなふうに生きられたら。そんなふうに生きた人がいるとは」と思ったのだ。とりとめもなく曖昧な私の望みに、ついにくっきりとした輪郭が与えられた、と喜んだのだ。露伴、緑雨、魯庵とたどってきたことが、寒月と出合うための伏線だったようにすら感じられた。

寒月とその父・椿岳の業績(という言葉はこの親子には似合わないが)や人物像にかんしては、ここでは他の詳しい方がたにおまかせしよう。私はただ一点だけ、寒月のどこに一番惹かれたのかということだけ書いておくことにしよう。

幸田露伴は淡島寒月を追悼してこう言っている。私はここに寒月の魅力は言い尽くされていると思う。

「氏は余り有る聡明を有してゐながら、それを濫用せず、おとなしく身を保つて、そして人の事にも余り立入らぬ代りに、人にも厄介を掛けず人をも煩はさず、来れば拒まず、去れば追はずといふ調子で、至極穏やかに、名利を求めず、たゞ趣味に生きて、楽しく長命した人であつた」

私はたぶん、寒月の執着心のなさに一番惹かれたのだと思う。ただ執着心がないというのではない。愛する気持や楽しい気持は人並はずれてたっぷり持っている。愛はあっても執着はない、というのがいい。寒月は多くの人びとに影響を与えたが、みずから作品をのこそうという気持は乏しかった。次から次へと興味の対象が移り変わり、「三分間趣味」を自称した。

追悼文の中の「余り有る聡明を有してゐながら、それを濫用せず」という一節が、うーん、私はとても好きだな。乏しい聡明を濫用して生活している私としては。理想だ、夢だ、憧れだ。(俄然、話が下世話になるが)

それというのもやっぱり恒産があったからだ。私は駄目だが、こういう人はいてほしい。富の偏在も悪くない。

と冒頭の感慨に戻るわけである。

前置きのつもりが、ついつい長くなってしまった。先を急ごう。

先日、『梵雲菴雑話』を入手した。昭和八年、つまり寒月が亡くなって八年後に出版された、寒月の談話と著述を集めたものである(限定一千部、書物展望社発行とある)。

寒月の趣味をよく伝えた装幀装本で、わくわくする。外函(江戸趣味的な帙)は寒月の生まれた日本橋にちなんで藍地に白のソロバン玉の三尺帯を貼り、本の表紙は斎藤昌三がコレクションをしていた草双紙類の袋を貼り(斎藤昌三は「亦一枚も同じ装幀を見ぬことになつたが、こんな計画は再び出来ることではないと思ふ」と書いている)、見返しには例の有名な絵馬(向島の寒月宅の枝折戸にさげてあった、犬と猪の絵馬。犬は“いぬ”で不在のサイン、猪は“い”で在宅のサインだった)がプリントしてある。一人ではしゃいでいるようでナンですが……かっこいい。うーん、満足満足。

さて。本を開いてみると、序文は幸田露伴、題簽は會津八一、巻末には山内神斧と内田魯庵が短文を寄せている。本文は「回想」「趣味」「文苑」「雑抄」の四章に分類されている。

結論からいうと、やっぱり面白かった。史実的なことに今まで関心が薄く、無知な私のことだから、あんまりあてにはならないが、明治の東京の姿に関して、意外な感じのする事実が続々と出てくる。たとえば、明治の十年代には「何でもかんでも大きいものが流行つて」、蔵前の八幡の境内に十丈もあろうかという裸体の海女の大人形の見世物があったという話。客はその人形の体の中に入れるようになっていて、胎内のあちこちには十カ月の胎児の見世物があったとか。十丈と言ったら三十メートルか。なんだかフェリーニ映画を見ているような話じゃないか。

また東両国の橋のたもとには「ヤレ突けソレ突け」という興行が大当りしたという話。客は八文払って小屋の中に入ると、うちかけを着た女を三尺ばかりの棒(先端はピンクの絹で包んである)で「ヤレ突けソレ突け」と突つく。ただそれだけのことだが、なんと露骨にサディスティックな。

また、当時最もはやったのは、油壼に油を入れて、中に大判小判を沈ませてあって、いくらか金を出して塗箸で大判小判を取り上げるという興行だったという話……。

私の頭の中にあった明治の東京のイメージが狂って、クラクラしてしまう。巷のはやりものにかんする寒月の記憶力の確かさ、そしてそういうものにたいする不断の好奇心と一定の距離感を面白いと思う。江戸生まれのフラヌール。

寒月は西鶴発見者として知られているが、この『梵雲菴雑話』の中では「私は福澤先生によつて新らしい文明を知り、京傳から骨董のテエストを得、西鶴によつて人間を知ることが出来た。いま一つは一休禅師の『一休骸骨』『一休草紙』等によつて、宗教を知り始めたことであり、そして無宗教を知り――無といふよりも空、即ち昨日は無、明日は空、只現在に生き、趣昧に生きる者である――故にバラモン教からも、マホメツト教からも、何からも同一の感じを持つことが出来るやうになつた」と書き、この四人を「私の四大恩人」と言っている。

寒月の宗教観がうかがわれて面白い。寒月は世界の宗教を総なめのように研究したが、それに関してはほとんど語っていない。どうやら、信仰的情熱とも学問的情熱とも別のところから宗教に近づき、つかみ取っているような感じがする。生来の陽性の虚無主義者が、多くの宗教の根底に自分と同じ、ある「心の状態」を想定していることを発見していった――それが寒月にとっての宗教遍歴であったように思う。

父親の椿岳に関しては若干の評伝が残っているが、母親に関してはほとんどない。この本の中で「私の母は、自分でも変女だとか、ヤツコラサだとか云つてゐたやうに(奴らしいと云ふ当時の俗語)頗る変つたことが好きで、それに派手好きで贅沢だつた」うんぬんと書いてあるのが、珍しい。浅草寺の寺内に出没する奇人たち(椿岳、伊井蓉峰の父親の通称へベライさん、下岡蓮杖……など)の話も興味が尽きない。

しかし、不満もある。十代の頃の寒月はおそろしくハイカラ趣味で、魯庵の回想記には「(昔の寒月は)始終洋服を着て居た。家の中も西洋趣味で畳の上に、椅子やテーブルを並べたり、柱の四角いのを丸く削つたり、身体でも頭髪を赤く染めて見たり、眼の中に青い物を入れたりして居た」と確かに書いてあって、その「青いものって、いったい何なんだ?!」というのが私の四年来の大疑問なのだが、この本の中で寒月は「どうかして髪を紅く、眼の色を碧くする法はないものかと考へたものです」としか書いていないのだ。謎はさらに深まった。それが唯一の不満だ。

【この書評が収録されている書籍】
アメーバのように。私の本棚  / 中野 翠
アメーバのように。私の本棚
  • 著者:中野 翠
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(525ページ)
  • 発売日:2010-03-12
  • ISBN-10:4480426906
  • ISBN-13:978-4480426901
内容紹介:
世の中どう変わろうと、読み継がれていって欲しい本を熱く紹介。ここ20年間に書いた書評から選んだ「ベスト・オブ・中野書評」。文庫オリジナルの偏愛中野文学館。

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梵雲庵雑話 / 淡島 寒月
梵雲庵雑話
  • 著者:淡島 寒月
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(468ページ)
  • 発売日:1999-08-18
  • ISBN-10:4003115910
  • ISBN-13:978-4003115916
内容紹介:
西鶴再評価の契機をつくったことで知られる明治の文人淡島寒月(1859-1926)の文集.幕末維新期の江戸・東京の回想,仮名垣魯文・高橋由一・ワーグマン・下岡蓮杖らの人物スケッチ,玩具の収集のことなど,名利を求めず趣味に生きたといわれる寒月の全貌を伝えてくれる1冊.梵雲庵は寒月の号である.(解説=延広真治)

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初出メディア

彷書月刊(終刊)

彷書月刊(終刊) 1996年5月号

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