書評
『宮﨑駿の詩学』(集英社)
作品貫く原風景を探り問いつづける書
境界や無縁の場を一貫して論じつづけてきた赤坂憲雄は、すでに『ナウシカ考 風の谷の黙示録』(岩波書店)で『風の谷のナウシカ』をひとつの思想として深く読み解いてみせたが、本書は、ガストン・バシュラールの四元素(火水風地)の詩学と仏教の五大(地水火風空)とを接ぎ木して、タイトルどおり思想を詩想に重ねながら、宮﨑駿の全作品をつらぬく原風景を五つの元素に沿って掘り起こしていく大冊である。地の章では『未来少年コナン』に描かれる<のこされ島>の墜落ロケットと『ナウシカ』のペジテの鉱山を重ね、旧文明の残骸を資源として引き継ぐ想像力を「都市鉱山」の先取りとして読み、渓谷やカルデラという垂直の地形が、水平の共同体と対比されながら現れると指摘する。水の章では『千と千尋の神隠し』のハクをめぐり、埋め立てられて戻る場所を失ったコハク川という神なき時代における神の物語を掘り下げる一方、『紅の豚』のポルコの隠れ家に網野善彦のいう無主・無縁のアジールを重ねてみせる。
火の章では『もののけ姫』のタタラ場を軸に、製鉄と殺傷の技術史をたどりつつ、プロメテウスの火から核の劫火(ごうか)へと連なる文明の「業」を描き出し、エボシが石火矢(いしびや)でシシ神を撃つ場面から『風立ちぬ』の堀越二郎の零戦、そして『君たちはどう生きるか』の空襲まで、宮﨑が繰り返し火の両義性に立ち返っていることに触れる。風の章では『天空の城ラピュタ』のドーラ一家に匪賊(ひぞく)の系譜を、『魔女の宅急便』のキキやナウシカに「風使い」となる者の型を見出(みいだ)す。空の章ではラピュタから最新作の隕石(いんせき)の塔までを垂直に降りる精神の旅として結び直す。
印象深い指摘がいくつもある。<のこされ島>のロケットが、後の作品でも形を変えて登場し、空から落ちてきた異物を迎え入れる構造(「異人」としてのシータもふくまれるだろう)が、すべての作品に糸を通す原風景であるということ。居場所を奪われたハクが、それでもきっとまた会いに行くと誓う台詞(せりふ)は、『もののけ姫』のアシタカが、サンに対して口にする「共に生きよう。会いに行くよ」という言葉に直結していること。中身のない約束は裏切られようがない、行き詰まり、痩せ細っているがゆえに、壊される恐れもない希望の形がありうるとする読みは、宮﨑駿を超えた現在を、そして未来を支えるものだ。
著者は「ではなかったか」という問いかけを最後まで崩さない。断定を避け、思いつきを「言い捨て」、留保をつけたままつぎの断片へ移っていくその書法は、体系的な論証というより、宮﨑作品から立ちのぼってくる多数の声に耳を傾ける、『遠野物語』にも似た聞き書きの身振りに近い。
引用と参照の密度は高く、宮﨑駿の全貌を追えていない読者は地図を持たずに森へ分け入るような心もとなさも覚えるだろうが、あとがきで「なにを書いたのか、いまはまだよくわからない」と告げる誠実さも、完成された答えを待つのではなく、未完了のまま生きることに懸ける本書の主題をそのまま体現している。宮﨑駿のメッセージを裁くのではなく、ともに問いつづけること。答えの出ない持続を引き受けようとする本書は、より充実した語りで反復されることになるだろう。
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