「カムイ伝」の作者の変貌描く究極の研究
子供のころに読んで忘れられないマンガがあった。天皇家に牛乳からつくる「酥(そ)」という長寿の薬が伝えられていたが、それを服用していたミカドが結局死んでしまう。この話を起点に、不老不死の霊薬を探求する物語が展開するのだ。本書を読んで、そのマンガが白土三平の『いしみつ』であることを教えられた。著者は、この作品を手塚治虫の『火の鳥』と比較する。『火の鳥』も不老長寿を求める人間の物語だが、手塚は、その探求を神秘化し、人間と自然の関係をロマン主義的に歌いあげてしまう。
一方、白土三平は、不老不死の探求の挫折を描き、人間と自然の関係の相対性をしめす。人間と自然はあくまでも実践的に関わりをもつものであり、その関係を最もよく知る者は、農民と忍者である。
白土三平の『忍者武芸帳』はかつて階級闘争の教科書としてもてはやされた。それが一九七〇年代の左翼運動の退潮とともに、白土は急速に忘れられた作家になっていく。だが、四方田犬彦はそうした外的な要因とは別に、七〇年代以降の白土三平の変貌をみごとに描きだす。その際のキーワードが「自然」なのだ。
白土の父・岡本唐貴は、十九歳の黒澤明に絵の手ほどきをしたという共産主義者の画家だった。戦時中、この父が長野の真田村に転居・生活したことが、白土の人生に決定的な影響をあたえた。
真田村で知った豊かで過酷な自然が、白土の南方熊楠にも匹敵する博物学的知の養土となったのだ。そして、『忍者武芸帳』における父親ゆずりの階級闘争史観は、超大作『カムイ伝』の執筆のなかで相対化され、むしろ、人間の作りだす「歴史」をこえて、底知れない「自然」の力がクローズアップされるようになる。
かくして、房総の漁村に居を移した白土は、七〇年代半ばから八〇年代にかけて、『神話伝説』シリーズや『女星』の連作で、民俗学的想像力をふるう新境地を切り開いていく。
小学校時代から貸本屋に通って『忍者武芸帳』に親しみ、その後、四十年も白土マンガを追いつづけた著者にしか書けない、究極の白土三平研究である。