書評

『愚行の賦』(講談社)

  • 2021/02/02
愚行の賦 / 四方田 犬彦
愚行の賦
  • 著者:四方田 犬彦
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(386ページ)
  • 発売日:2020-08-27
  • ISBN-10:4065202426
  • ISBN-13:978-4065202425
内容紹介:
愚かしさは人間の本質か。フローベール、ドストエフスキー、ニーチェ、バルト、そして谷崎潤一郎。「愚」という尊き徳をめぐる論考。

無我にたどりつく迷宮めぐり

愚かな行為は政治の世界から日常生活まで、いたるところで目にすることができる。にもかかわらず、これまで正面から論じられたことはほとんどない。それだけ語るのが難しいだろうが、この難題に挑戦する本はついに現れた。

検討の対象として、文学作品がおもに取り上げられたのは、フィクションの世界において愚かさはもっとも透明感のある形象として描き出されているからだ。

前半で論じられたのは、十九世紀のヨーロッパ文学や哲学において、愚行なるものがどのように思考され、あるいは表象されてきたかである。興味深いことに、愚行の表象を読み解いていくと、従来とまったく違った作家像が浮かび上がってきた。ボードレールの場合、比類なき修辞や寓意によって表現されたのは近代人の絶望的な孤独だけではない。彼は俗衆の無知と愚昧を憎悪しながら、人間の生の根底に横たわっている愚行への衝動を象徴的な手法で描き出した。

ブルジョア社会の健全な市民の感覚に照らし合わせれば、フローベールもボードレールと同じように生涯を愚行に塗れて生きた。ただ、フローベールの場合、他人の愚行を逐一観察し、微に入り細を穿って描いたところに違いがある。ボードレールは己の生き方を悔恨と恥じらいとともに作品に投影させたとすれば、フローベールは対照的にブルジョアの愚劣に対する嫌悪を露わにし、それを徹底的に暴露したところに特徴がある。ただ「ボヴァリー夫人はわたしである」という作家の告白からうかがえるように、フローベールは「俯瞰的に」愚かさを見ているわけではない。愚行は言語体制の深部に根を下ろしている以上、作家自身も愚かさの繭糸に巻かれるのを自覚していた。

ドストエフスキーの『白痴』論になると、まず、神聖と肉体の汚わいとの矛盾という主題をめぐって、物語がどのように展開したか、登場人物の行為になぞって分析が行われた。それを踏まえて、『白痴』と『ボヴァリー夫人』との呼応を指摘し、ドストエフスキーがこの長編の執筆にあたって、フローベールの手法にいかに学んだかについて、比較文学的手法を用いて巧みに解き明かした。

ニーチェは本書において、哲学者というより、詩人として扱われている。取り上げられた作品はニーチェが精神錯乱に陥るまでの六、七年間に書かれたものがほとんどだが、肉体の優位を説くときも、ニヒリズムの克服について考えるときも、ドストエフスキーから示唆を受けたという主張は自伝『この人を見よ』などの解読を通して示されている。

愚行をめぐる思考を検討していくと、ボードレールからニーチェにいたるまで、四人のあいだに思想の暗渠(あんきょ)が精神史の地下で合流している様子がくっきり浮かび上がってきた。ドストエフスキーはフローベールに並々ならぬ共感を抱いており、ニーチェはドストエフスキーに対し、最大の賛辞を贈っている。言語表象において呼応しているだけでなく、作品の深層構造も互いにつながっていることが浮き彫りにされた。

三分の二に近い紙幅を費やした十九世紀に比べて、二十世紀の愚行論はそれぞれ独特の視点が用意されている。パウンドとハイデガーのように、ファシズムやナチスに協力した愚かさとどう向き合ったかを検証するものもあれば、語り手の位置から距離を置き、韜晦(とうかい)的な表象装置を設定することで、言説の相対化を装うヴァレリーやバルトの戦略を探るものもある。二十世紀の最高の知性とも称されているヴァレリーは特異な創作活動を行っていた。毎朝、思いつくままに手記を書き、発表を意図せずに死ぬまで続けていた。膨大な手記が整理され、刊行されたのは本人が亡くなった後のことである。いかにも愚かのように見えるが、『ムッシュー・テスト』の分析を通して、語ることの躊躇は愚かさの回避を意味していることが明らかになった。

それに対し、言語の明晰さも意味の共有も、イメージの共振も拒絶したバルトが遠方と往古の魅惑に惹かれるようになったのは必然の帰着といえよう。

掉尾(とうび)を飾る論考において、東洋の賢者たちの声に耳を傾けるのは気の利いた布置である。老子も荘子も愚を恐れ、愚から逃げ出そうとしたのではない。愚を肯定し、かつ賛美したのは無我の境地に到達したからである。

同じ肯定でも、谷崎潤一郎となると、愚行は生の幻影を追う行為としてつぶさに描写されている。価値を転倒させることで、愚かさが漂白され、やがて耽美の空へ消えてしまった。

愚行を論じるには愚かさの落とし穴がつねに待ち構えている。そのことを知りつつ、果敢に立ち向かうには勇気よりも、無垢の情熱が必要であろう。読みとおして見ると、なるほどこれまで語られたことのないことが見えてきたのはまちがいない。何よりも古今東西の文学を博引旁証(ぼうしょう)しながら、作品論の迷宮をめぐるのは楽しい。読書も結局のところ、愚行かもしれないと思わせる、奇妙な読書体験であった。
愚行の賦 / 四方田 犬彦
愚行の賦
  • 著者:四方田 犬彦
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(386ページ)
  • 発売日:2020-08-27
  • ISBN-10:4065202426
  • ISBN-13:978-4065202425
内容紹介:
愚かしさは人間の本質か。フローベール、ドストエフスキー、ニーチェ、バルト、そして谷崎潤一郎。「愚」という尊き徳をめぐる論考。

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毎日新聞 2020年10月31日

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