書評

『無明 内田吐夢』(河出書房新社)

  • 2019/07/30
無明 内田吐夢 / 四方田犬彦
無明 内田吐夢
  • 著者:四方田犬彦
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(376ページ)
  • 発売日:2019-05-18
  • ISBN:4309256309
内容紹介:
日本映画史上最大の巨匠のひとりでありながら正面から論じられてこなかった監督の軌跡と作品、その核心にはじめて挑む記念碑的な力編

圧倒的な「暗黒」の起源に迫る力作

内田吐夢監督の『飢餓海峡』(一九六四年)の陰鬱な感動を忘れることができない。青函連絡船事故の犠牲者に紛れ込んだ二遺体に疑問を抱く刑事(伴淳三郎)が、地方の名士となっている謎多い大男・樽見京一郎こと犬飼多吉(三国連太郎)を追う。一方、大男と事件の夜を過ごした純な娼婦(しょうふ)八重(左幸子)は甘美な記憶のために男の黒い爪をいとおしむ。裏返されたジャン・ヴァルジャン物語といえるこうした人物像もさることながら、映画のあの圧倒的な「暗黒」の印象はいったいどこに由来しているのか?

巨匠でありながら論じられることのない内田吐夢の「暗黒」に興味を抱いた著者は起源を中国大陸での悲惨な体験に求めた後、作品に表出されたその痕跡を原作との比較などにより明らかにしてゆく。こうした両面作戦から浮かび上がってきたのは吐夢的人間存在の根底にある「無明」という仏教的観念であった。「内田吐夢の映画の全体が、無明に苛(さいな)まれた人間が光明を求めてやまないという巨大な物語に他ならない」

では、内田吐夢の「無明」は具体的にどんな大陸体験に根差しているのか? 大東亜共栄圏的な夢に憑(つ)かれた内田は満州映画協会(満映)解散後も新生中国に止(とど)まり理想を燃やし続けるが、その善意は共産中国の非道な撮影所人員整理策で見事に裏切られる。内田を含めた一一七人は砂河子という寒村で石炭積み出し作業を命じられ、粗末な食事と苛酷な労働に耐えねばならなかった。そんな日々に彼を支えたのは意外や毛沢東の『矛盾論』だった。「内田を魅惑したのは、小さな矛盾が重なりあって大きな矛盾を形成し、最後にそれが爆発してクライマックスとなる、矛盾の生成過程であった」。この読書体験が戦後の作劇術の理論的背景となる。

一九五五年に『血槍富士』で映画界に復帰した内田は満を持して中里介山の『大菩薩峠』に取り掛かる。著者は稲垣浩他の『大菩薩峠』との詳細な比較検討から、内田版『大菩薩峠』の特徴を(1)冒頭の机龍之助による無動機殺人は「業縁」の暗示(2)龍之助に惨殺されたお浜の遺児を育てる与八の詠ずる地蔵和讃の反復的効果(3)最下層の門付け芸人お君の詠ずる「間の山節」の異常な強調という三点に絞りこみ、こう結論する。「(内田は)業縁とその救済という相反する二つのヴェクトルが牽引(けんいん)しあう場として、長大な物語の構造を把握したのだった。このとき本質的な役割を果たしたのが『間の山節』と『地蔵和讃』という二つの音楽である。(中略)それは日本人にとってもっとも深い地層に属しているといえるかもしれない」。こうした相反するベクトルを矛盾のままに内包するという内田の方法は『飢餓海峡』でも一貫している。

映画監督としての内田がイタコの口寄せをわざわざカメラに収め、原作には何の言及もない黒く汚れた爪の呪術的権能に拘泥を示すことは、何を意味しているのだろうか。イタコは犬飼にとって恐怖の対象であり、爪は八重にとって甘美な性的体験のスヴニールであって、この二つは表面的には対立しあっているように思われる。だがいずれもが、近代の合理的思考よりもはるかに古い前近代の思惟形式を体現しているという点で、みごとに対応している。

あるいは内田吐夢研究が忌避されつづけてきたのもこうした日本的古層の伏流ゆえなのかもしれない。映画研究と宗教学という著者の二つの専門を融合させながら、内田吐夢という弁証法的な映画作家の本質を明らかにした文字通りの力作である。
無明 内田吐夢 / 四方田犬彦
無明 内田吐夢
  • 著者:四方田犬彦
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(376ページ)
  • 発売日:2019-05-18
  • ISBN:4309256309
内容紹介:
日本映画史上最大の巨匠のひとりでありながら正面から論じられてこなかった監督の軌跡と作品、その核心にはじめて挑む記念碑的な力編

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初出メディア

毎日新聞

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