書評
『ヘル』(文藝春秋)
死者と生者の輪舞、空虚に、懐かしく
あけましておめでとうございます。といいながら、正月のおめでたい気分のさなかに、こんな縁起の悪いタイトルの小説をわざわざ書評欄のトップに選ぶとは、朝日新聞学芸部はいったいどういうつもりなのでしょうか。そもそも筒井康隆はヘンな小説ばかり書いてきた人ですから仕方ないのですが、この最新作はとりわけヘンな小説なのです。
登場人物の大半が死人で、生きている人物もほとんど棺桶(かんおけ)に片足つっこんだような連中ばかりです。六年前の傑作『敵』は「老人小説」だったわけですが、『ヘル』はその先に行きすぎて紙一重をつき破って落っこち、「死人小説」になってしまいました。
冒頭に、信照と勇三と武という小学校の同級生が登場します。この場面を回想する七十歳の信照だけはまだ生きているのですが、勇三はやくざになって二十代半ばで腹を刺されて死んでいますし、武は五十七歳のときに浮気相手の女の亭主にダンプカーで激突されて即死します。
また、わき筋として、勇三の弟分が地下のクラブで敵対するやくざから延々と拷問を受けるグロテスクな挿話や、武の会社の部下である泉という男が女性タレントに入れあげたあげく、飛行機のハイジャックと墜落事故で亡くなるという話もあり、飛行機のなかで、見知らぬ泉と信照とが一瞬すれちがうエピソードによって、この死人と半死人たちのシュニッツラー風の輪舞は、ひとつの環(わ)をとじることになります。
なぜ死者と生者がロンドのように次々に相手を替えて交わることができるかといいますと、死者のいる「ヘル」には、夢という通路をとおって、生者もすべりこむことができるからです。本書は、『夢の木坂分岐点』や『パプリカ』など、筒井夢小説の必然的な到達点として、「夢を見ることはすこしのあいだ死ぬことだ」という命題を、あの手この手の小説的テクニックを駆使してくりひろげております。
とくに、日本人の心にしみる七五調で登場人物の多彩な死にざまをストロボのように連続させる最後のくだりは、筒井康隆ならではの実験精神とばかばかしさが絶妙にまじりあって、『ヘル』のクライマックスを形づくっています。
それにしても筒井康隆の描く「ヘル」は、なんとクールで、空虚で、懐かしい世界なのでしょう。いまから三十年以上も前、死の直前の三島由紀夫は、日本は滅びて、極東の一角に、無機的で、からっぽで、ニュートラルな経済大国が残るだろうと予言しましたが、本書『ヘル』は、そんな日本の明るい滅びの姿を、遠い未来から懐かしむようなまなざしで描いています。
ラストで、ヘルよりもさらに遠い場所をめざして死者たちが旅立つ場面には、そうした哀切なノスタルジーがたちこめて、読む人を深い感慨へと誘うことでしょう。
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