戦争が生んだ独映画会社の栄光と没落
ウーファはドイツ映画史上最大の映画会社である。二〇世紀初頭、フランスのパテやゴーモン社に続いて、しかしハリウッドのメジャー会社よりは早く、世界の映画の最先端に立った。本書は大判八〇〇ページ以上をかけて、ウーファの栄光と没落の歴史を克明に記す。そこには「別の手段による戦争の継続」としての文化史のありようが生々しく浮かびあがる。一九一七年、第一次世界大戦の末期、ドイツ軍司令官のルーデンドルフは映画産業を連合国に対する宣伝の効果的な兵器と位置づけ、政府、財界一丸となってウーファを創設する。ドイツは大戦に敗れるが、映画会社は生き延びる。敗戦の翌年、ウーファ製作、ルビッチ監督のフランスを舞台にした歴史大作『パッション』は、アメリカで大ヒットを記録し、ウーファの名は世界にとどろく。
そして、有名な『カリガリ博士』を製作したデークラ映画を吸収し、欧州最大のノイバーベルスベルク撮影所を所有する。このスタジオには、ラング監督『ニーベルンゲン』のあの深いゲルマンの森と、ムルナウ監督『最後の人』の六〇メートルもある巨大セットが同時に作られ、イギリスから来た若い映画人の度肝を抜く。この青年はヒッチコックといった。
一九二〇年代、ウーファは技術に立脚した芸術の理想境だった。その怪物的な完全主義の到達点が、ラングの『メトロポリス』である。この悪魔的な吸引力を、当時勃興しつつあったナチスの宣伝責任者ゲッベルスは見逃さなかった。
ナチスが政権に就く一九三三年、ウーファはゲッベルスに掌握され、芸術=技術の理想境から、国民の意識操作のための兵器庫へと変化する。そして、ドイツ第三帝国と運命を共にしながらも、会社は再び一九六三年まで生き延びる。
本書は、映画分析を通じてナチス支配の必然性を論証したクラカウアーの『カリガリからヒトラーへ』とほぼ同じドイツ映画の黄金時代を扱っている。だが、クラカウアーの書物よりはるかに歴史的客観性に富み、今後のドイツ映画論の基礎となるに十二分な論述の厚みを備えている。翻訳者の労をたたえたい。