書評
『王になろうとした男』(清流出版)
映画より面白い! 波瀾万丈の自伝
途方もない自伝である。これがすべて事実なら、ヒューストンの一生は彼の映画より面白いといって過言ではない。話芸の冴えも類書に例を見ないほどの巧みさだ。最初の職業はボクサー。25戦23勝。その後、新聞記者を経て映画監督になる。だが、昔取った杵柄(きねづか)で乱暴者の俳優エロール・フリンと1時間近く殴りあい、鼻をつぶされながら、フリンの肋骨を2本折ったというからすさまじい。
イタリアで戦争の記録映画を撮り、あまりの残酷さにこの作品は上映禁止になりかかる。こんな風に、映画人として文字どおり戦争を生きぬいた人物はまずいないだろう。
愛人は数知れず、結婚は5回。3度目の時は、「おたがいをよく知るには絶好の方法よ」という相手の言葉に応じて結婚し、最後は妻よりチンパンジーとの暮らしを選んだともいえる変人である。
35歳の監督デビュー作『マルタの鷹(たか)』は史上最初のフィルム・ノワールとして映画史を飾る。その後の映画作りの波瀾万丈の挿話は、『黒船』の日本ロケで住民が暴動を起こした話など本書にてんこ盛りだが、『アフリカの女王』のウガンダ・ロケはその頂点をなすものだ。イーストウッドはこの時のヒューストンをモデルに映画を作ったが、事実は映画を完全に凌駕している。ヒューストンは人肉まで食ったようだ。その顛末はぜひ本書でお楽しみ頂きたい。
また、34章など、わずか7ページに自分の映画作りの要諦をまとめ、世界最小にして最高の映画実践論としている。映画ファン必読の名文だ。
ヒューストンの自伝がこれほど感動的なのは、「フィルムメイカーの人生は数多くの小人生から成り立っている」ことを片時も忘れないからだ。親友ハンフリー・ボガートの最期をみとり、マリリン・モンローとクラーク・ゲーブルの遺作となる『荒馬と女』を撮りあげ、『フロイド』ではアルコール依存と白内障と精神の危機で滅びていくモンゴメリー・クリフトの姿を凝視する。そこには単なるスキャンダル趣味とは全く無縁の、あらゆる運命への厳しくも寛大なまなざしがある。
朝日新聞 2006年06月18日
朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。
ALL REVIEWSをフォローする