書評
『重箱のすみから』(筑摩書房)
「何も伝えていない」言葉を斬る
本書は時評エッセイで、その時々に世の中に現れる言葉がどう使われるかを、顕微鏡で観察し分析するように書かれている。著者は重箱の隅をつついているのではなく、重箱の隅まで寄っていき、そこから見えるものを開示する。著者の基本的な姿勢はこのようなものである。
(ある文章を読んで)「私が思い浮かべた言葉は、日常的に文字を読む生活において、書くことはそれほど多いとは思わないが、極(ご)くなじみ深く、頭の中ではかなりの頻度で使用する『バカ』という言葉である。『間抜け』の方がいいかもしれないが、いずれにしても、私はそういった直截(ちょくせつ)的な言葉を使わず、具体的な文章の中で使用されている言葉を引用するなどの方法で、文章とその書き手のおおよその『質』を読者に提示するという簡単なやり方を好む」
好むと言われても、それでは「バカ」と直接言うのと同じか、それ以上に壊滅的打撃を与えるではないかと思うかもしれないが、本書を読む愉(たの)しみも怖さも、ひとえにその(簡単どころか)卓抜な「やり方」を味わうことにある。
冊子『ちくま』に連載されたエッセイなどをまとめた本書は、2020年初頭、新型コロナウイルスの話題からスタートし、この感染症流行時、人々の発する言葉がときにどうしようもなく珍妙だったことを、容赦なく指摘する。
たとえば、耳にタコができるほど聞かされた「不要不急の外出は控えて」というフレーズに対して発せられた「だってこれは、外出じゃあないよ」という巣鴨の高齢女性の言葉を引いて、著者は、「とげぬき地蔵という場所に行くことは、理屈などではなく、外出ではなくお参り」なのだし、「絶対必要不可欠と考える立場もある」と考える。「控えて」という要請に至っては、辞書の定義を根拠に、禁止とは程遠い曖昧さを含んだ言葉であるとして、それら三つが並んだフレーズは「何も伝えていないのと同じ」と喝破する。
同じようにして「新しい生活様式」「ぎりぎり持ちこたえている」といった、当時は非常に重んじられたが、突き詰めると何を言っているんだかよくわからない言葉たちがやり玉に挙げられる。
著者によれば、「何もコロナ禍という特別な状況を必要としなくても、昔から今日にいたるまで私たちは日々いくらでも、痩せているのか水ぶくれとも肥満ともつかない『ことば』や『文章』をメディア上でいくらでも眼(め)にしつづけていたし、いる」(「どのように言葉は痩せたと言うのか(2)」)。
記憶は鋭く鮮明で、古い小説や映画や、何十年も前の言説を自在に喚起し、比較対象にする。著者の書斎には、気になる言葉に赤線を引き、切り抜いてクリアファイルに保存した記事が、箱に一杯溜(た)まっているらしい。
コロナ禍からウクライナ戦争、大阪万博、現在も裁判が続く大阪地検検事正の性加害事件で報じられた言説まで扱い、2020年代前半の社会をばっさり斬った本書は、あのときの言論空間と世の中の空気を瞬時に蘇(よみがえ)らせて、読む者をハッとさせる。
そして、読者自身も、どこかで聞いたような言葉を不用意にうっかり使ってしまうことで、なにかを語ったような気になり、本質から目をそらしていたかもしれないことに、思い至るのだ。
ALL REVIEWSをフォローする






































