書評

『重箱のすみ』(講談社)

  • 2020/04/13
重箱のすみ / 金井 美恵子
重箱のすみ
  • 著者:金井 美恵子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(402ページ)
  • 発売日:1998-04-01
  • ISBN-10:4062090848
  • ISBN-13:978-4062090841
内容紹介:
愛するものたちへの深い確かなまなざし。エスプリ溢れる辛辣で刺激的なエッセイ106篇(1993〜97年)。
金井美恵子の本はいつもそうなのだが、隅っこまで楽しそうに作られていて、うらやましい気分をあおりたてられる。実際、あとがきにこの本づくりはとても楽しかったことが書かれており、私がとこかで目にして気になっていた木彫りの銀の魚が端に写っている表紙や、白抜きで「1」と大きく印刷された本文の前のぺージなどを、暗闇で光が動き始めタイトルが映るのを見ているときのようにわくわくしつつ、一枚ずつ触ってめくりながら、まったく無茶な話だが、本づくりの場に自分が当事者としていなかったことが悔しく思われるのである。

こうなったら、この本自身になって自分も楽しい思いをするしかなくなる(買い物と服の趣味だけは私には無縁だが)。大岡昇平や中村光夫の本を開いてしまうのは言わずもがな、「ナス入りオムレツ」を読めば、その料理が出てくる映画「オリーブの林をぬけて」を見なおし、イランの少女の一人の眼がオリーブ色ともナスを切ったときの緑の部分の色とも見え、すぐさま自由が丘のピーコックへ走って素材を仕入れナス入リオムレツを作り、その場面で「オウ」と嘆声を漏らしたというイラン人の中年紳士の気持ちを考えながら食べると、この世の奇跡を味わっている気分になる。また、京都大学で金井美恵子が公開対談した際、窓から「大文字焼き」の「大」の字が見える教室で、「大文字の父」を「だいもんじのちち」と発音して質問したという学生に、アルファベットについて尋ねてみたくなる。路線バスについて書かれた「旅情の挫折」では、九州にいる友達を見舞うため路線バスを行き当たりばったりに乗り継いで行こうとして当然失敗したという田中小実昌の話を思い出す一方、「窓際に並んだ小さな電球が次は停車するというしるしに氷イチゴのシロップ色に明るく」なるのをこの目で見たくなって、九品仏訳前からのバス旅行を計画する。「行列と哄笑」は私も体験しており、フィルムセンターで行われたジャン・ルノワール特集で、「笑うべきところでないシーンに向かって、あたかも特別な映画的感性を誇示しあうかのように大声で笑う」「映画批評家志望予備軍」の性質は、「文芸批評家志望軍」も同じではないかと、私がいやでも「小説家志望予備軍」と見なされても仕方のなかったころに行った批評家や小説家の講演会のことを思い出して考える。彼らは自分は素人ではないという意識を持ち、タートルネックの黒いセーターにくすんだ色のジャケットを着、黒縁の眼鏡をかけ、「からたに」「はすみ」「デリダ」「レヴィナス」と、姓だけを尻上がりに呼ぶ業界用語を駆使し(女性の思想家や作家の名だとフルネームで発音も普通)、素人でもしない質問をしたり顔でできるという意味で、確かに素人ではないのだが、それは、お互い「軽い敵意」を抱きつつも自分と同じような「予備軍」とともにいることが支えとなっているからだ。だから顔見知りでないながら異様に閉鎖的な空間を築けるのだが、さらに考えれば、これは批評家にせよ作家にせよ、「予備軍」だけでなく「本職」の一部にもいえることがわかる。批評が自分の足もとを疑うことであるとするなら、みんなで足もとを固めてそれを忘れることのできる鈍感な者たちは、甘ったれの文句タレである。

と、こうして私は、「重箱のすみ」のあちこちから別の隅に入り込んで、つついてしまう。隅をほじくることが批評なのは、このような「予備軍」的確信を拒絶する態度においてであり、「重箱のすみ」はその孤独で強靭な繊細さでもって、読む者を爽快な気分にし、新たな読書と行動へ駆り立ててくれる。
重箱のすみ / 金井 美恵子
重箱のすみ
  • 著者:金井 美恵子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(402ページ)
  • 発売日:1998-04-01
  • ISBN-10:4062090848
  • ISBN-13:978-4062090841
内容紹介:
愛するものたちへの深い確かなまなざし。エスプリ溢れる辛辣で刺激的なエッセイ106篇(1993〜97年)。

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