書評

『ことばのたくらみ―実作集』(岩波書店)

  • 2024/01/19
ことばのたくらみ―実作集 / 池澤 夏樹
ことばのたくらみ―実作集
  • 著者:池澤 夏樹
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:単行本(396ページ)
  • 発売日:2003-01-31
  • ISBN-10:4000267094
  • ISBN-13:978-4000267090
内容紹介:
いま,文学作品を書くとはどのような行為なのか.言葉とは,読者とは,文学の形式と方法とは.文学に対する根源的問いを,創作の先端で活躍する詩人と小説家が実験作を書下ろし,批評としてで… もっと読む
いま,文学作品を書くとはどのような行為なのか.言葉とは,読者とは,文学の形式と方法とは.文学に対する根源的問いを,創作の先端で活躍する詩人と小説家が実験作を書下ろし,批評としてではなく,実作を通して考える画期的な試み.小説,詩といったジャンルの壁をとりはらい,日本語と日本文学を挑発する作品の饗宴.

わたしを見逃してください、主よ(藤沢周)
大陸へ出掛けて、また戻ってきた踵(多和田葉子)
ある中篇のための七つの書出し(平出隆)
詩の家で-ことばのつえ、ことばのつえ(藤井貞和)
旅-CATHYのはるかな先達に(高橋睦郎)
喜屋武岬/老樹騒乱/かみぐとぅ(神事)/あたびーぬうんじ(高良勉)
ワニ月夜(村田喜代子)
夜(山本昌代)
『月』について、(金井美恵子)
ゴドーを尋ねながら(向井豊昭)
追憶(平野啓一郎)
(お互い・に向かい・そこで・静かに・聞く)-冬の旅から(工藤正広)
イタロ・カルヴィーノ『カルヴィーノの文学講義』(朝日新聞社)の中にこんな言葉がある。

ときとして私には、何かしら疫病のようなものが、人類をもっともよく特徴づけている能力、すなわち言葉を用いる能力を駄目にしているのではないかと思われることがあります。言葉の伝染病といったものでして、その徴候は識別的な機能や端的さの喪失、あるいはまた表現をおしなべてもっとも一般的な、没個性的で、抽象的な決まり文句に均一化させてしまい、その意味を稀薄にして、語と語が新しい状況に出合うときに発する火花をいっさい消し去ってしまおうとする一種の無意識的・機械的な振舞いとして現われています。

そして、その疫病はさらに被害を深刻に広げているように、思われるのだ。わたしは呟く。ブッシュ大統領のスピーチを聞いて「ありえない」と。わたしは笑う。友人の滑稽な失敗談を聞いて「ありえない」と。わたしの言葉は「ありえない」に冒されつつある。

気晴らしに、ある売れ行きのよい娯楽小説を開く。すると、そこにもまた疫病が蔓延していることに気づき、「ありえない」と愕然とする。たった数行の間に同じ言葉が五回も使用され、主語は述語を見失い、「て・に・を・は」は脱臼をおこし、どんな名医の腕をもってしてももはや助ける術はない。ひょっとすると、自分が今読んでいるのはエンターテインメントではなく実験小説なのではないか――「ありえない」――と思われるほど症状は深刻だ。

『ことばのたくらみ』の編者・池澤夏樹は、まえがきにあたる場所で、この本を「批評の長歌に対する反歌、バラードに対するエンヴォイとして」位置づけ、執筆依頼した15人(本人を含む)の作家そして詩人には、「『ことば』を普段以上に意識していただきたい」と注文をつけたと明かしている。つまり、ここには疫病に冒されまいと抵抗する15様の試みがあるのだろう。そんな見当をつけて本を開いてみた。

トランスレーションの往復が生む異化のおかしみをさらりと示す多和田葉子。ある中編小説の七パターンの書き出しを提示することで、物語が生起する瞬間の無限性を読者に告げる平出隆。物語における屈託のない語りと、ユーモアの湧出と、エクリチュールの軽業を披露する村田喜代子。「甘美に忘れ去る」ことを甘美に思い出させる文体の魔術師・金井美恵子。言葉によって世界に不在を穿とうとする松浦寿輝。言葉が持つ原初の善良な力への信頼を小さな物語にこめた池澤夏樹。全編書き下ろしのアンソロジーなのだから、人によって作品の好き嫌いが生まれるのは仕方ないし、なかにはぬるい作品も混じってもいるし、この一冊で疫病蔓延をくい止められるとも思えないのだが、しかし、わたしは打たれたのである、15人の作家の誠実な身振りに。少し取り戻せたのである、言葉への期待を。覚えたのである、小説に「棒で突っつくのではなく、掌で触れる」喜びを。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

ことばのたくらみ―実作集 / 池澤 夏樹
ことばのたくらみ―実作集
  • 著者:池澤 夏樹
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:単行本(396ページ)
  • 発売日:2003-01-31
  • ISBN-10:4000267094
  • ISBN-13:978-4000267090
内容紹介:
いま,文学作品を書くとはどのような行為なのか.言葉とは,読者とは,文学の形式と方法とは.文学に対する根源的問いを,創作の先端で活躍する詩人と小説家が実験作を書下ろし,批評としてで… もっと読む
いま,文学作品を書くとはどのような行為なのか.言葉とは,読者とは,文学の形式と方法とは.文学に対する根源的問いを,創作の先端で活躍する詩人と小説家が実験作を書下ろし,批評としてではなく,実作を通して考える画期的な試み.小説,詩といったジャンルの壁をとりはらい,日本語と日本文学を挑発する作品の饗宴.

わたしを見逃してください、主よ(藤沢周)
大陸へ出掛けて、また戻ってきた踵(多和田葉子)
ある中篇のための七つの書出し(平出隆)
詩の家で-ことばのつえ、ことばのつえ(藤井貞和)
旅-CATHYのはるかな先達に(高橋睦郎)
喜屋武岬/老樹騒乱/かみぐとぅ(神事)/あたびーぬうんじ(高良勉)
ワニ月夜(村田喜代子)
夜(山本昌代)
『月』について、(金井美恵子)
ゴドーを尋ねながら(向井豊昭)
追憶(平野啓一郎)
(お互い・に向かい・そこで・静かに・聞く)-冬の旅から(工藤正広)

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

レコレコ(終刊)

レコレコ(終刊) 2003年5-6月号

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
豊崎 由美の書評/解説/選評
ページトップへ