書評
『筒井康隆自伝』(文藝春秋)
書くことへの覚悟と妄執
まだ足りぬ 踊りおどりて あの世まで
読後、大正・昭和の名優六代目尾上菊五郎の名言が浮かんだ。生涯を芸に捧(ささ)げる、などというと綺麗(きれい)ごとになる。喝采を受けるためならば、いつまでも紙面や舞台で踊り続けてやる。そんな91歳の文豪の覚悟と妄執が伝わってくるのが本書である。
5歳で大阪市東住吉区山坂町四丁目へ転居。克明にして鮮明な思い出が綴(つづ)られていく。父嘉隆や弟正隆ら家族はもちろん、初恋の相手、弘子ちゃんや近隣の倉田久美子ちゃんはじめ担任の先生から、思春期の友人まで、すべての人々が実名で登場し、しかも好き嫌いを包み隠さず、容赦なく書き付ける。
登場する人物に読まれたら、などと怯(ひる)み、疎まれることを怖(おそ)れるような小説家はそれまでである。のちには担当編集者の好悪まで、あからさまに書く。常識や教訓などくそらえ。読者は人の悪口や噂(うわさ)話を読むのが大好き。荒唐無稽で何が悪い。そうキッパリ割り切ったがゆえに、筒井文学は人間の真を突く。
もっとも、小説家としての出発点となったSF仲間との交友に育まれた揺籃(ようらん)の時代は、なんとも切ない。「今から考えたら夢のような日日だったなあ」。おういと呼ぶ声がしてベランダから外を見ると、星新一、小松左京が手を振っている。読者はこんな甘い記憶にも弱い。
世に出てからは、雑誌の依頼もひっきりなし。疾風怒濤(どとう)の時代の記述は、ドタバタを地で行っている。作家が文壇にとどまらず、メディアスターとして踊り抜いた頃の熱狂は貴重な記録となっている。
エノケン、ロッパら昭和の喜劇俳優への憧れから始まった演劇への傾斜も、1999年、ここに極まる。演出家蜷川幸雄に起用され、チェーホフの『かもめ』で、作家トリゴーリンを演じた。「凄(すご)い話も来て顫(ふる)えあがる」台本7ページの長台詞。作家の役を作家が演じる蜷川趣向の配役を存分に楽しんだとよくわかる。筒井は、まさしく小説家であり、劇作家であり、なにより俳優だった。
ALL REVIEWSをフォローする


































