書評

『マテニ10号』(白水社)

  • 2026/03/06
マテニ10号 / 黄 晳暎
マテニ10号
  • 著者:黄 晳暎
  • 翻訳:姜 信子,趙 倫子
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(328ページ)
  • 発売日:2025-12-22
  • ISBN-10:4560091978
  • ISBN-13:978-4560091975
内容紹介:
韓国現代文学の重鎮であり、毎年ノーベル文学賞候補にあがるほど世界的評価の高い著者が、構想から執筆まで 30 年をかけた集大成となる長篇小説。2024年国際ブッカー賞最終候補作となり、世界… もっと読む
韓国現代文学の重鎮であり、毎年ノーベル文学賞候補にあがるほど世界的評価の高い著者が、構想から執筆まで 30 年をかけた集大成となる長篇小説。2024年国際ブッカー賞最終候補作となり、世界中から注目を集めた。世界22か国語で刊行が決まっている 。
日本による植民地支配期に、川崎重工で作られたマテニ(マテ2型)は、朝鮮半島に導入されると主に山岳地帯の多い朝鮮北部で運行された。「マテ」は山岳型機関車を意味する、マウンテン型の日本式略称。マテニ10号は朝鮮戦争当時、北進していた南側(大韓民国側)によって接収され、開城-平壌の路線で運行されていた。
本書の構想は、著者が1989年に北朝鮮を訪れた際、かつて鉄道機関士として大陸を行き来していた老人に出会い、話を聞いたことから始まった。
近代の到来、そして日本による植民地支配の象徴であった鉄道。本書は、闘う産業労働者たちと鉄道員一家四代の、朝鮮半島における百年の物語である。
イ・ベンマン、イ・イルチョル、イ・ジサンの鉄道労働者三代と、今の時代に煙突の上で「高空籠城」しているイ・ベンマンの曾孫であり工場労働者であるイ・ジノの物語が大きな柱を構成する。 三代の物語の中でも、イ・イルチョル、イ・イチョル兄弟の物語は、植民地期の労働運動と独立運動をリアルに描き、スリリングな展開で読者を引き込む。兄イルチョルは鉄道従事員養成所を出て、当時は珍しい朝鮮人機関士になり、父イ・ベンマンの誇りとなった。一方、弟イチョルは父ベンマンと同じ鉄道工作廠に勤めていたが解雇され、本格的に独立運動に身を投じ、投獄されるなど、苦難の道を歩む。また、日本の鉄道員や警察、大学教授など多数の日本人が登場し、日本の近現代史をも照らしだす。
物語の中で目を引くのは 女性たちの活躍だ。特にイルチョルの妻は、過去に義弟であるイチョルと共に労働運動をしていた新女性としての知性と卓越した予知能力で家族に襲いかかる苦難にも賢明に対処し、家族をいたわり、一家の中心的存在となる。
全18 章から成り、10章以降が下巻。朝鮮半島から満洲へとのびゆく鉄道、離散の運命、分断を越えてつながりあう家族――。 鉄道員一家をめぐる膨大な叙事を通して、 植民地期から解放前後、そして 21 世紀の現在を絶妙に行き来し、韓国の近現代史を描き切った。同時に、これまで韓国文学史に欠落していた産業労働者たちの真の物語を本書で打ち立てた。
植民地期、また分断の時代の朝鮮半島における近代の歪み、その底辺と周縁に生きる者につねに眼差しを向け、独裁政権に抵抗の声をあげ、海外亡命、国内収監の経験も持つ著者は、リアリズムであると同時に、生者の声のみならず死者たちの声も響きわたる表現手法を本書で模索している。作品中に響きわたる複数の声は、 社会の周縁で声を奪われていた者たちの声である。

弱い者が勝つ…時間かかるけど

足を踏んだ側はすぐ忘れるが、踏まれた側は忘れない。それは植民地支配についてもあてはまる。支配した側は何事もなかったかのよう。それどころか「植民地支配には良い面もあった」と開き直ることさえある。支配された側の傷は深く残るにもかかわらず。

亡命と服役経験を持つ韓国のベテラン作家による長編小説。朝鮮半島を舞台に鉄道員一家100年の物語である。タイトルにある「マテニ」(マテ2型)は機関車の型式名で、植民地時代の朝鮮北部で運行されたという。

物語の進行役は中年男性のイ・ジノ。金属労組の支会長。不当解雇され、撤回を求めて工場の煙突の上に立て籠もっている。この高空籠城という抗議行動は韓国ではよく知られているようで、ぼくが参照したハンギョレ新聞には、何百日にもわたって高空籠城する人が紹介されている。

ジノはひとり煙突の上で寝起きしながら、会いたい人の名を書いたペットボトルに語りかけ、一家の歴史をなぞっていく。

ジノの曽祖父、ベンマンは9歳で働きはじめ、旋盤技術を学び、鉄道工作廠(しょう)(車両工場)の技術者として働いた。ベンマンの息子や孫、つまりジノにとっては祖父や大叔父、父も鉄道員になった。

植民地朝鮮では、鉄道は特別な意味を持った。最先端技術の粋であり、猛スピードで走っていく機関車は人びとの憧れだ。しかし鉄道を支配するのは大日本帝国(日帝)なのである。ベンマンの長男でジノの祖父であるイルチョルは、朝鮮人でありながら急行列車の機関士に抜擢(ばってき)される。その弟のイチョルはベンマンと同じ鉄道工作廠に入るが朝鮮独立運動の活動家になる。日帝の側につくのか、朝鮮の側につくのか、家族は引き裂かれるのか。

活動家たちへの弾圧シーンはまるで悪夢のようだ。徹底的な拷問は、情報を聞き出すためというより、苦痛と恥辱を与えること自体が目的であるかのよう。植民地における弾圧が二重に悲劇的なのは、直接的に手を汚すのは日本人ではなく朝鮮人であること。被支配層である朝鮮人が日帝の手先となって同胞を拷問したり殺したりする。この小説では、イルチョルの幼なじみダリョンがイチョルらを弾圧することで出世していく。

1945年8月15日、日本が降伏を受諾し、翌日には収監されていた政治犯たちが釈放される。ところが、これでハッピーエンドとはならない。朝鮮半島は南北に分断され、日帝の代わりにアメリカの息がかかったイ・スンマン(李承晩)の反共政策が続くからだ。活動家たちを弾圧した警察組織もそのまま受け継がれる。

このように紹介すると、さぞかし息苦しい小説だと思われるかもしれない。だがユーモラスでもあるのだ。煙突の上のジノの日々はのんきなものだし、家族が危機に陥るたびに現れる曽祖母(の幽霊?)や、人の未来が見える祖母も登場する。

「どうしてうちの家族は強い方につかないで、いつも負ける方の味方ばかりするの?」と小学生だったジノは祖母に尋ねる。祖母は「そのときは負けているように見えても、結局は弱い者たちが勝つようになっているんだよ。ものすごく時間がかかるから、もどかしいんだけれどね」と答える。ぼくもそう信じたい。
マテニ10号 / 黄 晳暎
マテニ10号
  • 著者:黄 晳暎
  • 翻訳:姜 信子,趙 倫子
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(328ページ)
  • 発売日:2025-12-22
  • ISBN-10:4560091978
  • ISBN-13:978-4560091975
内容紹介:
韓国現代文学の重鎮であり、毎年ノーベル文学賞候補にあがるほど世界的評価の高い著者が、構想から執筆まで 30 年をかけた集大成となる長篇小説。2024年国際ブッカー賞最終候補作となり、世界… もっと読む
韓国現代文学の重鎮であり、毎年ノーベル文学賞候補にあがるほど世界的評価の高い著者が、構想から執筆まで 30 年をかけた集大成となる長篇小説。2024年国際ブッカー賞最終候補作となり、世界中から注目を集めた。世界22か国語で刊行が決まっている 。
日本による植民地支配期に、川崎重工で作られたマテニ(マテ2型)は、朝鮮半島に導入されると主に山岳地帯の多い朝鮮北部で運行された。「マテ」は山岳型機関車を意味する、マウンテン型の日本式略称。マテニ10号は朝鮮戦争当時、北進していた南側(大韓民国側)によって接収され、開城-平壌の路線で運行されていた。
本書の構想は、著者が1989年に北朝鮮を訪れた際、かつて鉄道機関士として大陸を行き来していた老人に出会い、話を聞いたことから始まった。
近代の到来、そして日本による植民地支配の象徴であった鉄道。本書は、闘う産業労働者たちと鉄道員一家四代の、朝鮮半島における百年の物語である。
イ・ベンマン、イ・イルチョル、イ・ジサンの鉄道労働者三代と、今の時代に煙突の上で「高空籠城」しているイ・ベンマンの曾孫であり工場労働者であるイ・ジノの物語が大きな柱を構成する。 三代の物語の中でも、イ・イルチョル、イ・イチョル兄弟の物語は、植民地期の労働運動と独立運動をリアルに描き、スリリングな展開で読者を引き込む。兄イルチョルは鉄道従事員養成所を出て、当時は珍しい朝鮮人機関士になり、父イ・ベンマンの誇りとなった。一方、弟イチョルは父ベンマンと同じ鉄道工作廠に勤めていたが解雇され、本格的に独立運動に身を投じ、投獄されるなど、苦難の道を歩む。また、日本の鉄道員や警察、大学教授など多数の日本人が登場し、日本の近現代史をも照らしだす。
物語の中で目を引くのは 女性たちの活躍だ。特にイルチョルの妻は、過去に義弟であるイチョルと共に労働運動をしていた新女性としての知性と卓越した予知能力で家族に襲いかかる苦難にも賢明に対処し、家族をいたわり、一家の中心的存在となる。
全18 章から成り、10章以降が下巻。朝鮮半島から満洲へとのびゆく鉄道、離散の運命、分断を越えてつながりあう家族――。 鉄道員一家をめぐる膨大な叙事を通して、 植民地期から解放前後、そして 21 世紀の現在を絶妙に行き来し、韓国の近現代史を描き切った。同時に、これまで韓国文学史に欠落していた産業労働者たちの真の物語を本書で打ち立てた。
植民地期、また分断の時代の朝鮮半島における近代の歪み、その底辺と周縁に生きる者につねに眼差しを向け、独裁政権に抵抗の声をあげ、海外亡命、国内収監の経験も持つ著者は、リアリズムであると同時に、生者の声のみならず死者たちの声も響きわたる表現手法を本書で模索している。作品中に響きわたる複数の声は、 社会の周縁で声を奪われていた者たちの声である。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2026年2月28日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

ALL REVIEWS 書評講座(オンライン受講) ≫オンラインで参加する
現地満席|オンライン参加OK
「読む」側から、 「書く」側へ。
オンライン参加OK/過去回アーカイブ付。
全12回・途中申込OK。豪華講師陣の書評講座、開催中。
  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
永江 朗の書評/解説/選評
ページトップへ