書評
『マテニ10号』(白水社)
弱い者が勝つ…時間かかるけど
足を踏んだ側はすぐ忘れるが、踏まれた側は忘れない。それは植民地支配についてもあてはまる。支配した側は何事もなかったかのよう。それどころか「植民地支配には良い面もあった」と開き直ることさえある。支配された側の傷は深く残るにもかかわらず。亡命と服役経験を持つ韓国のベテラン作家による長編小説。朝鮮半島を舞台に鉄道員一家100年の物語である。タイトルにある「マテニ」(マテ2型)は機関車の型式名で、植民地時代の朝鮮北部で運行されたという。
物語の進行役は中年男性のイ・ジノ。金属労組の支会長。不当解雇され、撤回を求めて工場の煙突の上に立て籠もっている。この高空籠城という抗議行動は韓国ではよく知られているようで、ぼくが参照したハンギョレ新聞には、何百日にもわたって高空籠城する人が紹介されている。
ジノはひとり煙突の上で寝起きしながら、会いたい人の名を書いたペットボトルに語りかけ、一家の歴史をなぞっていく。
ジノの曽祖父、ベンマンは9歳で働きはじめ、旋盤技術を学び、鉄道工作廠(しょう)(車両工場)の技術者として働いた。ベンマンの息子や孫、つまりジノにとっては祖父や大叔父、父も鉄道員になった。
植民地朝鮮では、鉄道は特別な意味を持った。最先端技術の粋であり、猛スピードで走っていく機関車は人びとの憧れだ。しかし鉄道を支配するのは大日本帝国(日帝)なのである。ベンマンの長男でジノの祖父であるイルチョルは、朝鮮人でありながら急行列車の機関士に抜擢(ばってき)される。その弟のイチョルはベンマンと同じ鉄道工作廠に入るが朝鮮独立運動の活動家になる。日帝の側につくのか、朝鮮の側につくのか、家族は引き裂かれるのか。
活動家たちへの弾圧シーンはまるで悪夢のようだ。徹底的な拷問は、情報を聞き出すためというより、苦痛と恥辱を与えること自体が目的であるかのよう。植民地における弾圧が二重に悲劇的なのは、直接的に手を汚すのは日本人ではなく朝鮮人であること。被支配層である朝鮮人が日帝の手先となって同胞を拷問したり殺したりする。この小説では、イルチョルの幼なじみダリョンがイチョルらを弾圧することで出世していく。
1945年8月15日、日本が降伏を受諾し、翌日には収監されていた政治犯たちが釈放される。ところが、これでハッピーエンドとはならない。朝鮮半島は南北に分断され、日帝の代わりにアメリカの息がかかったイ・スンマン(李承晩)の反共政策が続くからだ。活動家たちを弾圧した警察組織もそのまま受け継がれる。
このように紹介すると、さぞかし息苦しい小説だと思われるかもしれない。だがユーモラスでもあるのだ。煙突の上のジノの日々はのんきなものだし、家族が危機に陥るたびに現れる曽祖母(の幽霊?)や、人の未来が見える祖母も登場する。
「どうしてうちの家族は強い方につかないで、いつも負ける方の味方ばかりするの?」と小学生だったジノは祖母に尋ねる。祖母は「そのときは負けているように見えても、結局は弱い者たちが勝つようになっているんだよ。ものすごく時間がかかるから、もどかしいんだけれどね」と答える。ぼくもそう信じたい。
ALL REVIEWSをフォローする



































