書評
『タイタニックは沈められた』(集英社)
タイタニック伝説
一九一二年四月、イギリスの豪華客船が処女航海でアメリカに向かう途中、氷山に衝突した。乗っていた二千二百人の三分の二、千五百人が海にのみこまれた。タイタニック号の悲劇としてあまりにも有名な大惨事だ。遭難は深夜だった。暗闇に氷山が現れて避けようもなくぶつかった。そう思うのが自然だが、一九九五年にイギリスで出版された『タイタニックは沈められた』はそこに疑問を投げかける。
タイタニック号には姉妹船・オリンピック号があり、タイタニックが進水したときには、修理のためにドックに入っていた。著者はそのことに目をつけて、再検証をはじめた。
遭難直後、英米両国でそれぞれ開かれた査問会で、何が言われ何が言われなかったかを洗いなおし、遭難現場の様子を組み立てなおし、タイタニック号建造のいきさつや船会社の経営状態にあたり、船主たちの経歴、行状にいたるまで調べあげる。
そこで結論はこうなる。
タイタニック号は廃船にしても惜しくないオリンピック号とすりかえられた。だから処女航海に出たのは替え玉で、はじめから沈める予定で出航し、もくろみどおり沈めた。目的は莫大な額の保険金詐取。
タイタニック(号)に出来の悪い姉がいたことを僕ははじめて知ったし、事実、オリンピック号の存在をクローズアップしたのはこの本がはじめてのようだ。大きさも排水トンもほぼ同じ。著者ならずともすりかえたくなるくらい似ている。
著者の主張はつづめていえば、船はすりかえられた。この仮説で疑問のすべてが説明できるということだ。ごく最近の水底調査でも、沈んだ船がタイタニック号だという証拠は何もあがらなかった……。
しかし、だからお説の通り、というわけはゆかない。そうかもしれないし、そうでもないかもしれないのだから。それでもなお言い張るとするなら、保険金詐欺とは別種の詐欺、書物の世界ではおなじみの、言葉のトリックの世界へと横滑りする。
ここがおもしろいところだ。事故のあとを言葉が追いかける。やがて事故をこえて言葉だけが増殖する。あらゆる伝説はこうしてつくられる。タイタニック伝説といわれる美談が生まれたのも、そうした事情がからんでいる。いわく、船橋(ブリッジ)に立ちつくしたまま海にのみこまれていった船長、最後の最後まで甲板で演奏しつづけた楽団。
保険金詐欺という新説も、タイタニック伝説をぶちこわすどころか、さらなる伝説化に加担する。
一冊の本とは、言わずもがなだが、言葉、言葉、言葉の堆積だ。しかし、時にこの堆積物に亀裂が走って、あらあらしい現実に触れさせられ、思わず息をのむ瞬間というものを、一冊の読書の中で得られるなら、それにこしたことはない。ぶあつい、言葉のぎっしりつまったこの本にはそれがある。
救助にはせつけたカーパシア号の船長の目に映った夜明けの遭難現場の模様。
……海は妙にがらんとしていた。難破船の名残となるものがかろうじて少しばかり浮かんでいた。デッキチェアがひとつふたつ、救命帯が少々、コルクがごっそり。海辺でよく見かける潮流に流し寄せられた漂流物以上のものではない。……。
すべての惨劇の現場とはこうしたものだ。たとえば、僕らの交通事故の現場なども。そして、ここがすべての物語の言葉がつむぎだされる現場ともなる。
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