書評
『スポーツマン一刀斎』(講談社)
バットをめぐる達人小説
ミスターが声をふりしぼっていったようには巨人軍が不滅かどうか知らないが、いまのところは生き残っている。昭和三十年というと第何次の全盛時代になるのか、プロ野球といえばまだ巨人だった。その頃の野球ファンなら読んだことがない人でも知ってるかもしれない「一刀斎は背番号6」には、野球少年の僕は度肝をぬかれた記憶がある。
奈良の山奥から一刀流の始祖・伊藤景久(かげひさ)第十七世の孫が突然球場に現れ、八双に構えたバットを一閃させてホームランをかっとばす。さっそく巨人にスカウトされて連続三十七ホーマーの超驚異的記録を打ちたて、大リーグ選抜との対戦では、相手投手が大きすぎて球の出どころがわからず、一球目は空振り、二球目は目かくししてホームランをかっとばす。シーズンが終わるとまた山奥の静かな生活にもどっていった。
短篇「背番号6」が大好評を博してのち、翌年から「サンデー毎日」に連載がはじまったのが続篇の『スポーツマン一刀斎』だ。
背番号6が奈良の山奥へ帰った翌年、飛驒の山奥から伊庭(いば)速夫という俊足が現れ、南海ホークスに入団する。伊庭の走塁は塁間三秒を切る。伊庭の活躍でパ・リーグの優勝はホークスがさらう。さて、日本シリーズの下馬評も圧倒的にホークス有利だ。あわてた巨人軍首脳は、一刀斎の再入団を請おうと使者を奈良の山奥に派遣する。
作者の五味康祐は、たしか熱烈な巨人ファンだった。テレビで熱っぽい声援を送っていた姿が記憶にある。寒山か拾得のモデルになれそうな風貌に、テレビや雑誌で接したことのある人なら、たとえ阪神ファンだとしても反感など持たなかったにちがいない。剣豪作家という肩書きも、氏に対してはとても温かく使われていた。
一刀斎は使者に、山を下りてもいいという。ただしお願いがある。東京へ出たら婦女子の世話をしていただきたい。
「……些か思うことあって、某(それがし)、色の道をきわめてみとうござれば……」
こうして一刀斎は剣を正真正銘の野球のバットと、もうひとつのバット、つまり男の一物をふり回す冒険にのりだす。
で、一体どんな女とやりたいんですか、と使者がきく。
「されば、初心のうちは心掛けて美女をえらぶべきものと申されておりますゆえ」
で、お目当ては?
「山本富士子嬢なるお人を」
富士子嬢をはじめとして岡田茉莉子、有馬稲子というそうそうたる実在の美女たちが、一刀斎の色道修業のお相手をつとめる。いま読んでも目をむいてしまう趣向だから、発表当時はさぞかし物議をかもしたにちがいない……。
しかし、これとて、映画の要領なのだ。映画の中の濡れ場。観客は芸者小夏を演じる岡田茉莉子をみるのか、演じられる芸者小夏をみるのか。『一刀斎』では、岡田茉莉子が岡田茉莉子に扮しているとみれば、物議のなんのは当たらない。
と書いて気づいたが、記憶にある風貌はずいぶん後のものだった。『一刀斎』を書いたころの作者はまだ三十五歳。一刀斎も二十(はたち)すぎたばかり。凛々しい青年が颯爽と行動するのだ。猥雑の感じはこれっぽっちもない。ふしぎな高邁の気が終始ただよいつづけている。
亡くなる五年前の作者のエッセーにこんな一節があった。
「私は観相するが、多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」
その通り五十八歳で亡くなった。そういう達人が書いた、ちょっぴり無稽な達人小説なのだ。
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