書評

『陥穽 陸奥宗光の青春』(日本経済新聞出版)

  • 2025/01/13
陥穽 陸奥宗光の青春 / 辻原 登
陥穽 陸奥宗光の青春
  • 著者:辻原 登
  • 出版社:日本経済新聞出版
  • 装丁:単行本(564ページ)
  • 発売日:2024-07-18
  • ISBN-10:4296120166
  • ISBN-13:978-4296120161
内容紹介:
陸奥は紀州藩で重用された父の失脚により所払いとなり、高野山の学僧から身を起こそうと、尊皇攘夷の嵐の中、洋学を志す。勝海舟の海軍塾に学び、坂本龍馬の海援隊へ。薩長連合を実現させた龍… もっと読む
陸奥は紀州藩で重用された父の失脚により所払いとなり、高野山の学僧から身を起こそうと、尊皇攘夷の嵐の中、洋学を志す。勝海舟の海軍塾に学び、坂本龍馬の海援隊へ。薩長連合を実現させた龍馬の許で、桂小五郎、後藤象二郎らに接近。若き日の伊藤博文、アーネスト・サトウらと心を通わせる。しかし維新後、陸奥は新政府内で苦境に立つ。時代の流れは、龍馬が構想した世界とは違う方向に進んでいる。薩摩で西郷が蜂起し、これを千載一遇の好機と捉えた陸奥は、身の破滅に向かって最初の一歩を踏み出した…。「日本外交の父」が辿った波瀾万丈の若き日々。幕末維新史を一新する「19世紀クロニクル」。

日本外交の父 前半生を活写

陸奥宗光を主人公とする小説を書くのはちょっとした冒険である。

史実にもとづくフィクションは時代によって物語を構築する方法が異なってくる。古代の人物は伝記的事実が断片的になりがちだから、歴史の闇に消え去った声に耳を傾けるとき、文学的想像力は万華鏡のような過去の可能世界に近付く手がかりになる。

しかし、近代に取材する歴史小説はすいぶん事情が違う。自伝、日記、公文書など史料が豊富にあり、同時代の人たちの証言も数は少なくない。想像力が介入する余地がかぎられているから、小説を構想するとき、史実との整合性をいかに保つかに神経を尖らせざるをえない。

明治の志士を小説に描く場合、神話的な人物像に一匙の調味料を加えることができる。あるいは通念化した解釈に対し別の物語を示唆してもよい。しかし、陸奥宗光は明治時代の風雲児ではない。かといって、日本外交の父と称されており、その事跡は史学の領域ではかなり知られている。

陸奥宗光の前半生に焦点を当てたのは気の利いた着想だ。三部立ての第一部は伊達小二郎の名で登場する少年時代にさかのぼり、「海軍塾」一期生になるまでの日々を描く。第二部は七年ぶりの帰郷までの時期を扱い、権力への階段をまさに上り始めようとした青年期の肖像に迫った。第三部は新政府の外事局大坂代表部勤務の時代から語り起こし、特赦放免の知らせが届く場面で幕が下りる。黒船来航、尊王攘夷、明治維新から征韓論をめぐる対立や西南戦争にいたるまで、政治世界の大きなうねりが小二郎の人間成長とともに語られている。計算周到な構成である。

語りの手法にも工夫が凝らされている。明治十一年、陸奥宗光は土佐立志社系の「政府転覆計画」への加担が問われ、山形の刑務所に投獄された。物語の時間に注目すると、三部とも獄中にいるときの独白が冒頭に置かれており、第一人称の「余」の視点から語られている。それに対し、時系列に展開する少年期、青年期の物語は第三人称で描かれている。この物語技法は映画のような視覚効果をもたらし、歴史的現在と過去を交錯させることで、小説の空間を広がりと奥行きのあるものにした。

複眼的な叙述は幕末明治の入り組んだ政治状況の躍動感をみごとに捉えている。第一部では、小二郎の少年期が父親伊達宗広(むねひろ)の不遇と交錯して語られている。宗広は紀州藩の重職にあったが、権力闘争に巻き込まれ、五十一歳のときに失脚した。田辺に幽閉される身になり、妻子は「所払い」(追放刑)にされた。宗広の運命はただの伏線として語られているのではない。尊王攘夷と公武合体の対立、参勤交代制特有の国元と江戸表(おもて)との確執など、江戸末期の重層的な権力闘争を炙り出す仕掛けとして布置された。

同時代の歴史人物の描写もひと際目を引くものがある。勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛など、近代史に大きな足跡を残した人たちをただのわき役として登場させたのではない。陸奥の目で捉えなおすことで、その人物像の知られざる一面を浮かび上がらせることができた。

テレビの大河ドラマに改編するにはぴったりの作品だ。
陥穽 陸奥宗光の青春 / 辻原 登
陥穽 陸奥宗光の青春
  • 著者:辻原 登
  • 出版社:日本経済新聞出版
  • 装丁:単行本(564ページ)
  • 発売日:2024-07-18
  • ISBN-10:4296120166
  • ISBN-13:978-4296120161
内容紹介:
陸奥は紀州藩で重用された父の失脚により所払いとなり、高野山の学僧から身を起こそうと、尊皇攘夷の嵐の中、洋学を志す。勝海舟の海軍塾に学び、坂本龍馬の海援隊へ。薩長連合を実現させた龍… もっと読む
陸奥は紀州藩で重用された父の失脚により所払いとなり、高野山の学僧から身を起こそうと、尊皇攘夷の嵐の中、洋学を志す。勝海舟の海軍塾に学び、坂本龍馬の海援隊へ。薩長連合を実現させた龍馬の許で、桂小五郎、後藤象二郎らに接近。若き日の伊藤博文、アーネスト・サトウらと心を通わせる。しかし維新後、陸奥は新政府内で苦境に立つ。時代の流れは、龍馬が構想した世界とは違う方向に進んでいる。薩摩で西郷が蜂起し、これを千載一遇の好機と捉えた陸奥は、身の破滅に向かって最初の一歩を踏み出した…。「日本外交の父」が辿った波瀾万丈の若き日々。幕末維新史を一新する「19世紀クロニクル」。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2024年10月5日

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