幻想性と小説の内的合理性の融合
大手出版社の校閲部に勤務している矢野聡(あきら)は中年にさしかかっているが、まだ、身を固めようとは思っていない。ある日、若者向けの雑誌でラブドール特集を目にし、面白半分で展示即売会に足を運んだ。出品の大半を見終わり、おおよそ興味を失いかけたが、展示室の片隅の台に腰掛けている人形の前を通りかかったとき、足がぴたりと止まった。彼女の端麗な容姿だけでなく、相性が合うという直感にも突き動かされ、即購入を決めた。聡は彼女に「小春」という名前をつけ、毎晩、誰にも言えないことを語り掛けていた。小春はいつも真剣に彼の愚痴や思い出話に耳を傾け、いつの間にか相槌を打つようになった。ほどなくして、聡の身辺に茜屋恭子という女性が現れた。偶然知り合い、いつの間にか恋に落ちた。ごく平凡で、自然な恋物語のようだが、その裏には周到に練られた計画があり、芝居のような筋書きがあった。何も知らない聡は人形のように純愛物語の主人公に仕立てられたが、彼を待っているのは思わぬ結末であった。
この作品では複数の物語が並行し、葉脈のように広がりながら、互いに交差している。小春の名は近松門左衛門の『心中天網島』の主人公にちなんで名付けられたが、彼女の運命も近松の小春と呼応しながら、両者があざやかな対比をなしている。近松の小春は共同体の仕来(しきた)りや既成観念にがんじがらめになったのに対し、人形の小春は片足を幻想の世界の外に出すことで、収奪された自由意志を取り戻そうとした。
聡と恭子の物語は小説の主軸で、聡とバー経営者の鵜飼千賀子の恋のもつれはエピソードとして布置されている。複線的な筋展開に、さらに千賀子とバーの客、近藤達也の物語がパズル的に絡む。
際立っているのは、物語的な幻想性を小説の内的合理性と巧みに融合させる手法だ。ラブドールが意志を持ち、人間並みの身体能力で行動するという設定はたんに小説的な趣向としてではなく、形而上の寓意として弱者の可能性を示唆している。小春が聡の愁訴に応答するのは、最初、聡の意識のなかに起きた現象だが、聡と言葉を交わしているうちに、小春も徐々に生身の女性のように恋心を抱くようになる。ここからシュールな光景がリアルな場面として現前するが、それとは対照的に、現実の時空において小春を処断しようとする聡は徐々に不可抗力の世界に巻き込まれていく。幻想世界と現実世界は天衣無縫な小説的技法によって接続され、小説でないと描けない世界がここで完成された。
超細密画を思わせるような細部描写は超現実的な物語構成とない交ぜになり、互いに引き立てている。物語の主要な舞台について、地形、道路、建物の位置関係や街の様子などが精密に描かれており、恭子は喫茶店巡りが趣味という設定に合わせて、喫茶店やカフェについて、旅行案内書を思わせるような正確さで記されている。
『心中天網島』との響きあいにとどまらず、映画『青い山脈』や『裏窓』、ひいては富岡多恵子の評論集『表現の風景』も作品の下敷きになっている。間テクスト性は物語内容の多義性を示唆したのみならず、読者の想像的空間を広がりのあるものにした。実験的な手法を用いながら、物語展開の妙をたっぷり堪能させてくれた。