書評
『詳伝 小杉放菴 ――近代日本を生きた画家とその交流』(筑摩書房)
一画家ではない、時代まで映した評伝
画家として小杉放菴(ほうあん)はやや異色な存在である。洋画家であり、日本画家でありながら、多くの挿絵を制作し、近代漫画のさきがけでもある。この画家の内面風景の変遷を可視化するには、その絵画作品を時間展開に沿って読み解くのがもっとも手っ取り早い。小杉は少年時代、洋画家・五百城文哉(いおきぶんさい)に弟子入りし、模写や風景写生の訓練を受けた。明治二十年代からの洋画排斥運動のなかで上京。洋画塾の不同舎に入塾してからは、油彩画の技巧にさらに磨きをかけた。
雑誌の挿絵担当をきっかけに画家としての活動をはじめた。日露戦争が起きると、従軍画家として朝鮮半島の戦場に派遣され、戦争報道の木版画や水彩画を多数描いた。日露戦争が終結した後、挿絵の制作を続けながら、漫画にも手を広げ、日本マンガ史上先駆的な役割を果たした。
本来、油彩画と漫画は表現手法のかなり異なる領域である。しかし、小杉は線や色彩の使い方、あるいは造形の仕方よりも、視覚的効果と内面的なテーマとの整合性に関心が向けられている。彼が後に日本画に手を染めたのもそのためであろう。
欧州遊学から帰国して、日本の神話や古代中国の故事に取材する作品を多く手掛けた。小説家や詩人には西洋文学の内面化に挫折した末、東洋に回帰した前例は事欠かない。しかし、小杉の場合は事情がかなり異なっている。欧州に遊学した際に初期ルネサンスの絵をはじめ、数多くの宗教画を目にした。小杉にしてみれば、ミケランジェロの「最後の審判」にせよ、ダヴィンチの「最後の晩餐」にせよ、しょせん聖書の挿絵に過ぎない。宗教説話の図像化を前にしたとき、小杉はその教義的な意味よりも、人々に愛される神をテーマとした物語に感銘を受けた。日本人画家として、彼は親しみのある東洋の神話や伝説に造形的な想像力が刺激されるのはごく自然な成り行きである。小杉は神話時代の日本人の心性の独自性と個別性を押し広げ、近代的な感性と結び付けながら、キャンバス上の具象性に置き換えた。
小杉の交友関係はじつに広い。しかも、美術の世界を大きくはみ出している。駆け出しの頃は国木田独歩や押川春浪とともに仕事をし、文人村と呼ばれた田端に転居してからは、芥川龍之介をはじめ、同時代の文化人と親しく付き合った。いくつもの美術団体を渡り歩き、一緒に写生旅行した仲間は数え切れない。
大正時代には自由の気風がみなぎっており、実業家たちも美術家たちと親しく行き来していた。小杉の家で開かれる老荘会という読書会には、画家、小説家、彫刻家にまじって、鹿島組の鹿島龍蔵(たつぞう)、内務官僚の唐沢俊樹なども常連として顔を出していた。今日ではおよそ想像もつかないことである。小杉を親密性の地図の真ん中に置くと、その周辺には多くの人々が行き交う様子が浮かび上がり、小さな共同体のあいだのつながりや軋轢(あつれき)もくっきりと現れてきた。
優れた評伝は実在する人物の生涯をたどるだけではない。個人と時代精神との響きあい、その人が生きた時代の雰囲気を再現することも大切な作業である。本書は意図しないふりをして、近代精神史の一断面を炙り出すところに魅力がある。
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