数奇に数奇重ね…ノンフィクション
フランスではこれまでオートグラフ(自筆原稿、手紙)は書籍とは別のジャンルとして市場を形成してきた。奥行きが深い割にマーケット(市場参加者)が限られた世界である。いや、正確には「あった」というべきだろう。というのも保険ブローカーだったジェラール・レリティエが一九九〇年にオートグラフ専門の買取・販売会社「アリストフィル社」を設立して以来、マーケットは異常なほどに拡大し、オークション・プライスも二〇一四年までは高騰しつづけてきたからである。レリティエは切手専門店で普仏戦争時に包囲されたパリから写真家、ナダールの熱気球で運ばれた手紙を見つけ、歴史的に重要なオートグラフを出資対象として売り込む投資会社の設立を思いつく。ビジネスモデルは入手したオートグラフに共同所有権を設定し、これを証券化して販売するというものである。
契約書には共同所有者は五年後にアリストフィル社に保有の共同所有権の買い取りを要請できると記されている。その間、オートグラフの価格は大幅に上昇するはずだ。アリストフィル社が価値を宣伝し知名度を上げるからだ。さらに重要な理由がある。「地球上の人口は増え続けているが、手書きで文章を書く人の数がどんどん減少している」。つまりパソコン、Eメールなどの普及で手書き文字は今後増えることはないからオートグラフの価値は上がりこそすれ下がることはないという理屈である。
世界的な低金利の波にも後押しされてアリストフィル社は急成長し、レリティエは大富豪となった。その最盛期に、レリティエはサド侯爵がバスティーユ監獄で羊皮紙に書いた天下の奇書『ソドムの百二十日』のオートグラフの購入を持ちかけられ、フランス国立図書館と競り合ってこれを手に入れたのである。著者はこの出会いから着想して三つのストーリーを三本の糸として縒(よ)り合わせてノンフィクションを書くことを思いついたにちがいない。すなわち(1)サド侯爵の運命。(2)バスティーユから盗みだされて以来、数多くのオートグラフ収集家の手を経てレリティエの手に入るまでの『ソドムの百二十日』の手稿の数奇な運命。(3)この奇書を入手したとたんに反転しはじめたレリティエの運命。
このうち私にとって興味があるのはなんといっても(2)だろう。オートグラフの世界は狭くて深いが、『ソドムの百二十日』という超過激な作品の手稿の買い手を見つけるのはさらなる困難を伴うからだ。なにしろ買い手は(1)大金持ち(2)手稿専門のコレクター(3)エロス関係に特化している収集家という三つの条件をクリアーしなければならず、売買は秘密裏の相対(あいたい)取引にならざるをえない。
つまり、『ソドムの百二十日』の手稿は初めから数奇な運命を辿ることを定められており、ときに手稿の所有者の人生さえ狂わすことがあるのだが、果たして、証券化の発明者レリティエはこの宿命を免れることができるのか?
ノンフィクションとしての読みどころはまさにここにあるが、その一方、AI化の進展により、いずれ希少価値のあるすべての分野が覆われるだろう金融証券化の波の到来を予想した予言の書とも読めてしまうところが不気味である。