書評
『瀧口修造と前衛写真』(作品社)
詩と影像の夢 撮るのではなく待つ
詩とは何か、写真とは何か。両者はどのような関係を結んできたのか。著者は戦前のモダニズム詩・前衛詩をめぐる資料を蒐集(しゅうしゅう)して丹念に読み込み、整理し、チャート化していった。その過程で最も大きな存在感を示していたのが、瀧口修造である。詩人として、美術と写真を論ずる者として戦前・戦中を生きたその多彩な活動をただ追うのではなく、「発見する」という思考の実践者として読み直す。それが本書を貫く筋である。瀧口は一九〇三年、富山県の寒江(さぶえ)村(現富山市)に生まれた。父は由緒ある家系の医師で、写真の趣味があり、自宅で現像もしていた。郷里の白い雪の風景は内面化され、現像前の白い印画紙を雪面と見立てるように、のちの自著の装幀(そうてい)にも多く白地が選ばれる。本書の装幀もそれに和しているのだろう。
一九一五年に父が急死すると、瀧口は遺(のこ)されたカメラをコダックのベスト判カメラと交換して撮影をはじめ、現像液に浸した印画紙の上に≪未知の実在≫が現れる瞬間に魅惑された。この「イメージの発生の現場」への新鮮な感応が、瀧口の思想の核心に結びつく。写真とは、撮るのではなく、待つことである。その直観が、以後の瀧口の仕事を支えた。
慶應義塾大学で西脇順三郎に師事し、シュルレアリスムの詩人たちと交わり、ブルトンの著作を翻訳し、美術から写真へと批評の場をひろげていく。三八年には「前衛写真協会」を組織するが、翌年、時局を慮(おもんぱか)って「前衛」の二文字を外し、「写真造型研究会」と改称を余儀なくされた。
ここから焦点は、写真論の思想的核へと移る。注目したのは、アジェの仕事である。早朝の人気(ひとけ)のないパリの街を主観なく撮り続けたこの記録者に、瀧口は「物体的認識の再開発」の先駆を見て、絵画様式をただ借りるだけの日本の前衛写真を批判し、写真が独自の様式として自立することを求めた。造りだすのではなく、発見する。主観を消した記録のなかに、オブジェの持つ潜在性、<実在の未知の生命>が宿る。
映像をこちらから探し出し映写するのではなく、影のようにそこに現れるものと捉えること。「影像」と記したのもそのためだ。この思想は後継者にも届いた。瀧口が関わった写真雑誌『フォトタイムス』を少年期に古書で入手した大辻清司(きよじ)は、その評論に「未(いま)だ見えてはいないけれど、いずれ現実の作品となって現れるはずの私の写真」を透視した。前衛写真とは、すでにある様式を作ることではなく、まだ見えていない現実を発見することだった。
一九四一年、瀧口はシュルレアリスムと共産党の関連を疑われ逮捕・拘留される。記録性の重視は、戦時下では報道写真に吸収され、体制の道具に回収されていく。同種の緊張は、今も消えていない。
本書は五章からなる本文に、詳細な「写真関連年譜」と附録(ふろく)としてA3判の年表が添えられている。蓄えた知を破片に分けて構成したものでありながら、チャートに収まりきらない重ね合わせと、淡々としたリズムの崩しが入る。前衛と記録、詩と影像。そのあいだに、まだ現像されていない瀧口修造というオブジェの、わずかな光をも惜しむような像が、静かに夢見られている。
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