書評
『モンパとブロクパの衣装民族誌』(法蔵館)
自然を映す衣装 文化そのもの
本書は書評の対象として、やや特殊で不適切と思われるかもしれないので、余計なこととは思うが、評者の思う本書の位置づけをまず述べておこうと思う。この書評欄では専門書は扱わないという約束になっていたと思うが、本書を文化人類学分野の専門書とみなすこともできる。ただし著者が現地で撮影した多数の写真が含まれ、記録性がきわめて高い。また一般の人の関心にも訴えると思う。衣装は時代とともに急速に変化するのが通例なので、その記録は重要である。さらに本書の半分は英語訳であるが、著者は「現地の人々に読んでいただきたいからである」と述べている。アジアの共通語はブロークン・イングリッシュだという表現があるが、たしかに日本語のみで書かれていれば研究対象となった現地の人々には不親切であろう。現代では機械翻訳が進んだので、この問題は将来もう一度あらためて考慮する必要があると思う。
本書の対象となったのは、表題にあるモンパとブロクパである。その意味は「モンパという名称は、チベット人がヒマラヤ山脈南麓(なんろく)のモンと呼ばれる広大な地域に住む人々を呼ぶときの総称で、かつてはシッキムやブータンの人々もモンパと呼ばれていた。実際の自称は居住地名、時にはその旧名の最後に『~の人』を意味する『パ』を加えるのが一般的である」
評者が興味を持ったのは、実際にこうした山岳地帯を昆虫採集のために訪れ、現地の人の衣装に強く印象付けられたからである。山岳地帯に住む人たちの衣装は色彩に富み、色の配合が見事で、アジアの山岳地帯だけではなく、南米のアンデス山脈に住む人たちの衣装の紋様は現地の昆虫が示すものと基本的に似ている。そのため慣れてくると虫の標本を見ただけで、ある程度産地を推測できるくらいになる。つまり「衣装は身体を包み隠すだけでなく、それを着る者の民族・地域・職業・階層・既婚か未婚かなどの属性を表す記号として機能する場合もある」。それに加えて、現地の自然を何らかの意味で深層から反映してもいるのである。
それが何をどう反映しているのか、まったくわからない。つい最近、東京のサントリー美術館での河鍋暁斎展を見に行った。その中に「地獄太夫と一休」という作品があり、地獄太夫の衣装の色合いにやはり目を奪われた。この作品を私は解剖図を扱う自著に引用したことがあり、今回初めて現物を見ることができた。江戸文化を背景とする暁斎の色彩感受性とモンパの人々の感受性はどこか似ているのかもしれない。暁斎コレクションは英国の美術コレクター、ゴールドマン氏の蒐集(しゅうしゅう)品であり、色に対する感受性は、物理的に単純に測れるようなものではなく、しかし時代や地域を超えた根本的な普遍性を持つのであろう。AIならそれをどこまで、どう評価するであろうか。
衣装のデザインや色調は触れられる機会が多いが、そこから何かを感じ取る感性の涵養(かんよう)について語られることはあまりない。現代人はTシャツにジーパンで、むき出しのコンクリートの街を歩くが、それが子どもたちの感性をどう育て、どう影響するか、そこに思いを及ぼしたことがあるだろうか。衣服は着ればいいというものではない。文化そのものなのである。
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