書評
『馬のこころ──人の相棒になれた理由』(岩波書店)
心を読み取る術、関係脈々と
AIの開発に伴い、機械に「こころ」をアップロードできるか、が論じられたりする。そこは人類との付き合いの長い馬である。さて、著者の扱いは如何(いか)なるものか。学生時代馬術部に属したのが、幼少期を除いて、著者と馬との本格的な出会いだったという。馬は基本的に仲間と暮らす動物のようだ。母子の間の愛、仲の良い馬同士の微笑ましい挨拶や、馴(な)れ合う姿が紹介されて、心が和む。そうした馬同士の間柄が、人との間にも特別の関係を築いてきた。
その前提に、家畜化できるための一般的要件も重要らしい。著者は六つを挙げているが、仲間との協働可能性もそこに生まれる。人は、軍馬、使役馬などのほか、祭祀(さいし)、スポーツなど生活のあらゆる場面で、馬と付き合ってきた歴史がある。
一方馬の能力にも著者の筆は及ぶ。数える能力、人の怒りや喜びを感じる能力、自分の感情を伝える能力、観察し学習する能力、記憶する能力などなどが、具体的な事例とともに紹介されている。中でも興味深いのは、困ったときに人の目を見つめることで、意志を伝える方法が、犬猫だけでなく、馬にも、あるいはカンガルーにさえ備わっているという。
とりわけ馬は、人との付き合いの中で、その表情や声音などから、人の感情を読み取る術(すべ)を心得ているようで、それは親しくなった相手だけではなく、初対面であってさえ、優しい顔貌と怒りのそれ、あるいは優しい声と怒鳴り声、などに、生理的に反応することが実験で確かめられるという。
私たち人間も、以心伝心などという次元もあるにせよ、通常は、相手の振舞いによって、相手の心を感じ取ったり、推理したりする。アメリカの心理学者J・B・ワトソンは、すべての心理現象を、「振舞い」(ビヘヴィアー)で捉えきることを提唱した。心理学は「心」理学であることを諦め、「振舞い」理学になるべきことになる。実際、現実には、相手の表情や動作、発する言葉などで、相手の「こころ」を読んでいるし、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
そういう観点からすれば、馬は、人とのかかわりの中で、相手の「こころ」を読んでいると見做(みな)せる徴候があることになろう。では、その逆はどうだろうか。
面白い実験が紹介されている。日常馬と接している人と、そうでない人とに被験者を分けて、馬の様々な表情の写真を見せたところ、前者の回答の正答率が後者のそれを有意に上回った、という。ここでの「正答率」という概念は、なかなか微妙な性格のものだが、とにかく、そういう結果があることは確からしい。そして、馬に慣れた人が注目する特徴の一つに、耳の形、動きがあるのだという。
「正答率」が微妙だ、と書いたのは、既にそこには、ワトソン流に言う馬の「こころ」が、レトリックとして前提されているからだが、その意味では、著者は、何気なく、自分の携わる領域、そして本書で紹介されている様々な研究成果を生み出した領域を、「動物心理学」という名前で呼んでいる。
デカルトは「我惟(おも)う、ゆえに我在り」として、人間の「心」の存在を証明してみせた。しかし、その証明は所詮第一人称単数に留まっている。そこにワトソン流が立ち上がる余地がある。今我々は「機械心理学」の始まりを実見しているのだろうか。
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