書評

『日本精神史(上)』(講談社)

  • 2020/04/04
日本精神史 / 長谷川 宏
日本精神史
  • 著者:長谷川 宏
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(506ページ)
  • 発売日:2015-09-10
  • ISBN-10:4062194619
  • ISBN-13:978-4062194617
内容紹介:
縄文時代の巨大建造物から江戸末期の『東海道四谷怪談』まで、日本の思想と文化を「精神」の歴史として一望のもとにとらえた快著!

よく眺め考え抜いた末の平易と緊迫

タイトルからも、上下二巻・一○○○ページをこえるヴォリュームからも、大きなテーマを盛り込んだ大きな仕事であることがわかる。書きすすめるなかで、さぞかし苦労があったと思うのに、苦渋のあとが少しもない。天成の語り部といったふうに、やさしく、なめらかにつづられている。ひとりでたのしいアカデミーを主宰したぐあいなのだ。ハツラツとして外に開いた自由な精神でなくては、こんな力業はできない。

三内丸山遺跡から鶴屋南北『東海道四谷怪談』まで全三十五章、ゆるやかな連作のつくりにある。何を実証しようとしたのだろう?

「はじめに」に、きちんと明示してある。「さまざまな精神の連続と変化のさま」、一人の個人によっても、大小の集団によっても示されるものだが、それを縄文時代から江戸末期まで、「一つの大きな流れ」としてたどってみること。政治や社会の基底にあって、表面とは微妙にリズムやテンポを異にしながら、「持続し変化していく人びとの意志と心情と観念の歴史」。

考察の素材は美術と思想と文学の三つの分野から選ばれた。遺跡、古墳、『古事記』『万葉集』、阿修羅像と鑑真和上像、『枕草子』『源氏物語』『正法眼蔵』、御成敗式目、本居宣長、浮世絵……。

実際は「はじめに」で述べられているほど整然と流れをたどったわけではあるまい。どれが最初の一歩だったのか、わからない。どうすすむのか、当人にもわからなかったにちがいない。どれもいわば「一つの進行形」であって、それを「生きもの」としてわが身に引き受けたようなのだ。あるおぼろげな予感が唯一のたよりであって、厄介な生きものが成長していくのを見守った。大風呂敷ではないのである。およそ二十年がかりの仕事であって、大きなタイトルとズンと重いヴォリュームには、たっぷりと歳月の元手がかけてある。

素材の引用は一貫して現代語訳で通してある。みずから現代の日本語にした。そして引用には「青春の覇気が行間からせまってくるような文章」、「切れ味のよい文の運びから、目の前に広がる情景の、胸をかきむしられるような痛ましさ、おぞましさが浮かび上がってくる」、「凜乎(りんこ)とした集団をなす鎧武者のすがたが思い浮かぶ」といった評語がつづく。

自分が選びとった素材をじっくりと読むこと、くり返しよくながめること。長谷川宏の精神史巡歴は、そんな作業から始まった。相手とじかに見つめ合うような、のっぴきならぬ位置に自分を置いて、やがて言葉として定着するまで、たえず考える。のべつ立ちどまり、あともどりする。おそろしく長い時間をかけたのは、そんな「前言語状態」というものが、やはりたのしかったせいだろう。そうでなくては、こんなに平易で、と同時に一種緊迫した、こころよい生理的リズムをもって語り通すなどできないことなのだ。

大学で哲学を学んだあとアカデミズムに行かず、学習塾を開くかたわら、在野で活躍してきた。ヘーゲルの新鮮な翻訳は、原文とかかわって対峙していた長い「前言語状態」のあってのこと。おもうにヘーゲルという「聖なる書物」の精神史をやり終えた前後に、「日本精神史」の課題が浮かび出たらしいのだ。大いなる課題に取り組むための腕力は、ヘーゲル哲学で鍛えてある。上下二巻の散文作品こそ、この人の人生体験と知識を集約している。精神のポートレートの描き手は、おのずとモデルの中に自分の特徴を書きこまないではいないものなのだ。

三内丸山遺跡では、何よりもその巨大さに目をみはった。それはまさに「人びとが共同の力と精神の感じとれるような建物」として、そこにある。雑多な要素の詰めこまれた『万葉集』に、「部分と部分のつながりの妙におもしろみを感じる文学意識が、日本人の精神的特質」としてあることが見てとれないか。現実と経典のあいだを自在に行き来する「空海の思考の柔軟性」。御成敗式目は、これまでの支配階層とは違う階層の「共同意識に支えられた、新しい法の登場」を明快に示すものであって、「日本精神史上まれに見る高度な知性と合理性を具えた法思想の表現であり、政治思想の表現であった」。

どの章もユニークな発想をもち、たのしませ、気づかせ、ときに挑発する。参考文献に見るとおり、よく勉強して、なかんずく教示を受けた人は、その名をあげた。とともに独自の視点から、それぞれの専門家が述べてこなかったことを述べた。「一遍聖絵(いっぺんひじりえ)」のシーンごとに顔を出す犬たち、「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」にそえられた生首、ごぞんじ「四谷怪談」のさりげない日常に「ふっと悪が、悪意が、まぎれこんでくる」瞬間の意味深さ。

指摘が大胆で、論証する分析がするどい。章名、またサブタイトルの多くが「火炎土器と土偶」、「最澄と空海と『日本霊異記』」、「法然と親鸞」「幽玄と笑い」といったぐあいに「と」で結ばれている。対比と連想の効用がこめられており、もの知らずでも未知の領域に踏みこんでいける。ペンの進行につかずはなれずつきそっている啓蒙的情熱が、なんとも好ましいのだ。
日本精神史 / 長谷川 宏
日本精神史
  • 著者:長谷川 宏
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(506ページ)
  • 発売日:2015-09-10
  • ISBN-10:4062194619
  • ISBN-13:978-4062194617
内容紹介:
縄文時代の巨大建造物から江戸末期の『東海道四谷怪談』まで、日本の思想と文化を「精神」の歴史として一望のもとにとらえた快著!

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毎日新聞

毎日新聞 2015年10月25日

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