書評

『めくるめく世界』(国書刊行会)

  • 2018/09/07
めくるめく世界 / レイナルド・アレナス
めくるめく世界
  • 著者:レイナルド・アレナス
  • 翻訳:鼓 直, 杉山 晃
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(329ページ)
  • 発売日:1989-05-01
  • ISBN:4336024669
内容紹介:
実在した異端の怪僧セルバンド・デ・ミエル師の波乱に満ちた生涯を元に、全篇を通じて現実と幻想が混淆した途方もない挿話が繰り広げられる奇想天外な歴史小説。キューバの亡命作家アレナスの“幻の書”。

レイナルド・アレナス(Reinaldo Arenas 1943-1990)

キューバ出身の作家。1966年に『めくるめく世界』がキューバ作家芸術家同盟のコンクールで入賞するも、出版の許可が得られなかった。同書が陽の目を見たのは、1969年メキシコでのことである。浮浪生活のすえ、1980年に難民としてアメリカに亡命。ニューヨークで創作活動をつづけていたが、90年に自殺。そのほかの著作に『夜明け前のセレスティーノ』(1967)、『ハバナへの旅』(1990)、自伝『夜になるまえに』(1992)などがある。

introduction

『めくるめく世界』は、国書刊行会の海外文学叢書《文学の冒険》の第二回配本だった。第一回配本こそすでに人気を得ていたジョン・アーヴィングだったが、以降の刊行予定には日本未紹介の活きのいいところが中心で、大いに期待したものである。『めくるめく世界』はその期待を上まわるパワフルかつハイスピードの傑作だった。さらにこの叢書には、だいぶ時期はあいたものの、おなじアレナスの『夜明け前のセレスティーノ』が収められている。少年の眼に映るグロテスクな現実を呪術めいた表現で描いた驚愕の作品で、『めくるめく世界』を超える作品はそうそう書けやしないだろうとタカをくくっていたぼくは、大あわてをしたものだ。そんな想い出ぶかい《文学の冒険》も、もうしばらくで店じまいと聞く。残念至極。これまで、どうもありがとう(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2007年頃)。

▼ ▼ ▼

ボルヘスやカルペンティエールは、ヨーロッパ留学中に表現主義やシュールレアリスムにふれ、帰国後、本格的な創作活動をはじめた。そのあとの世代に属する、ガルシア=マルケスやフェンテスにとっても、若いころのヨーロッパ体験がのちの創作に大きな影響を与えている。彼らは旧大陸を経由して、故郷ラテンアメリカを“再発見”したのだ。ヨーロッパの思想・芸術というフィルターを通して、新大陸の多層で混沌なる現実が彼らの眼に飛びこんできた。しかし、もうひとつ下の世代、おおざっぱに言うと一九四〇年代以降に生まれた作家たちにとって、「ヨーロッパを経てラテンアメリカ」という手つづきは、もはや不要になる。現実を見るためのフィルターにしても、世界を描くための技法にしても、すでに範となるものが身近にある。彼らが書きはじめたとき、すでにラテンアメリカ文学は、国際的な評価を獲得していた。ホセ・ドノソの言う〈ブーム〉である。

レイナルド・アレナスは二十歳前後にその〈ブーム〉を目のあたりにしたことになる。彼は先輩世代の作家たちと違って、ヨーロッパの土を踏んだことはない。キューバの義務兵役法は、十五歳から二十八歳までは国外旅行を禁止していたのだ。作家として活動をするようになってからも、「反革命的・反体制的」という烙印を押されていたため、行動がままならなかった。アレナスがはじめて国外に出たのは、一九八〇年、ボート・ピープルのひとりとしてマイアミへ亡命したときだ。

アレナスはキューバを「監獄であるところの島」と呼ぶ。そんなところで幽閉されるようにすごした彼は、自作『めくるめく世界』の主人公、メキシコ人修道士セルバンドに世界をめぐらせる。マルケスやフェンテスはヨーロッパから戻り、ラテンアメリカのめくるめく現実を発見したが、アレナスはヨーロッパを「めくるめく世界」として空想するのだ。彼が描いた都市のありさまや、風俗のもようをいくつか抜きだしてみよう。

マドリード――この地上でマドリードほど堕落した汚らしい都市はない。皇帝ネロのローマさえ、この堕落し切った市に比べれば、神や聖者の住み処ということになる。スペインでは赤ん坊すらも根性が腐っている。生まれたての赤子だというのに、ママと呼ぶかわりに、とてもここには書けないような破廉恥な言葉を口にする。

パリ――実際にここは、悪と罪のみを求める連中にとっては花の都であった。マドリードと違ってパリでは、いかがわしいことが白昼堂々と行なわれているからだ。

ローマ――住民の大半はロープを持って外出する。その端をわが家のポーチに結んでおいて、歩きながら少しずつ伸ばしてゆき、迷子になるのを避けるのだ。

リスボン――この市を支配している飢えはそれは深刻なもので、口をきく者がいればお大尽扱いされるほどである。

イギリス――ヨーロッパのあらゆる革命家たちが、いや、イギリスそのものの革命家たちが、陰謀を企んでいる場所である。あそこの橋の上でいかにものんびりとおしゃべりに耽っている、あの二人の夫人が、女王陛下の首を狙ってその下相談をしているという可能性もなくはないのである。

アメリカ――またもや私は、餓死を免れるべくあらゆる手を尽くしながら、味もそっけもないソーダ水で辛うじて飢えを凌ぐという惨めな状態に陥った。このソーダ水をヤンキーは好んで飲むが、彼らが味もそっけもない人間であるのは、間違いなくそのためだろう。

もちろん、アレナスはヨーロッパにいっていないのだから、こうした描写はすべて本から得たもの、それを想像力でグロテスクに拡大したものである。主人公セルバンドからして、メキシコ文学史のなかから見つけだされた人物だ。アレナスは、この修道士に関する記述を読んで興味を持ち、おびただしい資料を集めた。しかしその資料は、この作品を書くうえでほとんど役に立たなかったが、「なによりも有益だったのは、あなたとぼくとは同種の人間である、という発見だった」と、アレナスは述懐する。あなたというのは、もちろんセルバンドだ。

キューバに閉じこめられた作者と、ヨーロッパを放浪し波乱万丈の冒険をおこなう作中人物が、「同種」というのも面白い。この共感をよりどころに、アレナスはセルバンドの人生を大胆な方法で再現していく。セルバンドの回想記に基づいた一人称の語りと、客観的なことがらを記述する三人称の語り、そして作者の奔放な想像によって彩られた二人称の語り、これらを混在させたのである。語りを並行させるばかりではなく、二人称の語りに対し、一人称の語りが応えたりもするのだ。

セルバンドは、反抗的・異端・カリスマという気質を備えた男で、ヨーロッパを放浪することになったのも、もとはと言えば、「白人が来る前から、この地には聖母が君臨していた」という邪説を唱えたのがきっかけだ。大司祭の不興をかって、スペインに送られ、修道院に幽閉されたのだが、そこを脱走。説教のうまさで要人に取りいったり、監獄に入れられては脱走したり、また僧職に復帰したり……居場所と立場をくるくると変える。

そんな人物だから、一人称の語りにも、誇張と妄想が満ちている。スペインに送られる途中、空腹のあまり自分を拘束している鎖をかじり、それで自由の身になったとか、アメリカで列車の石炭が不足したとき、その代わりに黒人を使ったとか、与太話もいいところだ。それに引きずられるようにして、二人称の語りは奇想を饒舌に紡ぎだし、三人称の語りは辛辣な言葉で世の中を笑いとばす。物語が進むにつれ、セルバンドはますます怪物じみてくる。牢につながれても足枷もろとも監獄を倒壊させ、鯨にまたがって大西洋を横断するといった具合。セルバンドは「めくるめく世界」を暴れまわり、故郷のメキシコに帰還する。

遍歴のなかでセルバンドが蓄えた圧倒的な破壊エネルギーこそは、キューバに閉じこめられた作者アナレスの胸の内にたぎる自由への渇望だったのだろう。

【この書評が収録されている書籍】
世界文学ワンダーランド / 牧 眞司
世界文学ワンダーランド
  • 著者:牧 眞司
  • 出版社:本の雑誌社
  • 装丁:単行本(397ページ)
  • 発売日:2007-03-01
  • ISBN:4860110668
内容紹介:
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めくるめく世界 / レイナルド・アレナス
めくるめく世界
  • 著者:レイナルド・アレナス
  • 翻訳:鼓 直, 杉山 晃
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(329ページ)
  • 発売日:1989-05-01
  • ISBN:4336024669
内容紹介:
実在した異端の怪僧セルバンド・デ・ミエル師の波乱に満ちた生涯を元に、全篇を通じて現実と幻想が混淆した途方もない挿話が繰り広げられる奇想天外な歴史小説。キューバの亡命作家アレナスの“幻の書”。

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